カールスルーエ (軽巡洋艦・3代)
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カールスルーエ (Karlsruhe) は、第一次世界大戦終結後、ドイツ(ヴァイマル共和政)がヴェルサイユ条約の規定下で建造、ヴァイマル共和国軍の海軍 (Reichsmarine) が運用した軽巡洋艦[注釈 1]。 ケーニヒスベルク級軽巡洋艦の一隻[注釈 2]。 艦名はバーデン地方の都市カールスルーエにちなむ[注釈 3]。 練習艦として遠洋航海に用いられ[5]、幾度か大日本帝国を訪問したこともある。
注釈
- ^ 巡洋艦 “カールスルーエ Karlsruhe”[2] 全要目{ 排水量6,000噸 速力32節 備砲15糎砲9門 8.8糎高角砲4門 魚雷發射管(53糎)12門 起工1926年7月 竣工1929年秋 建造所 キール・ドイチエウエルケ社 } 獨逸海軍の特徴は、また巡洋艦に於て劃然としたものがある。御承知の通り主砲は15糎砲で、列強の二等巡洋艦に相當してゐる。こもまたヴエルサイユ條約で7,000噸を超ゆべからずの制限を受けて來た獨逸ではこの輕巡洋艦に、世界大戰中勇名をとゞろかせた輕巡の(各都市名)名を襲がせてゐる。但し、艦名こそ同じであるが、艦型や兵装に於ては雲泥の差がある。三聯装砲塔は英米佛伊國より先んじて始められ、極細の艦體はその速力の少からざる優秀さを物語る。前よりの二本煙突と簡單化した前檣は全く獨逸の科學精神の獨創で從つて水平面の斷面はたゞ前後に長い紡錘形ではなく飛行機の支柱の斷面のやうな後に細長い流線型を造つてゐるのである。カタパルトは二本の煙突の間にある。
- ^ 巡洋艦 “ケルン Köln”[3] 全要目{ 排水量6,000噸 速力32節 備砲15糎砲9門 8.8糎高角砲6門 魚雷發射管(53糎)12門 起工1926年8月 竣工1929年秋 建造所 ウイルヘルムスハーフエン海軍工廠 } 獨逸の輕巡洋艦全部が同型艦であるといつてもよく、要目はすべて同じだが“エムデン”が最も古く“ニユルンベルグ”が最も新らしい。そして新らしくなるに從つて艦型の進化があるから比較して見ると面白い。“ケルン” “カールスルーエ” “ケーニヒスベルグ Königsberg”は全く同型艦で、その中ケーニヒスベルグだけが高角砲が二聯装となつてゐる。或は他二艦もやがてさうなるかも知れぬが全く軍艦の對空兵装は日に日に進歩してゐるといつてよい。この三隻の特徴は艦尾が四角になつて居り、二番三番砲塔がやゝ中心線上からはづれてゐることである。これには何か造船上の理由があるらしい。全長137.63米、幅15.19米、平均吃水5.14米。
- ^ 初代は通商破壊戦で活躍したカールスルーエ級軽巡洋艦のカールスルーエ(ドイツ帝国海軍)[4]、2代目は初代ケーニヒスベルク級軽巡のカールスルエ(スカパ・フローで自沈)、建造中止になったケルン級軽巡洋艦のカールスルーエ代艦 (Ersatz Karlsruhe) がある。
- ^ 巡洋艦カルㇽスルーエ(一九二九年秋竣工)[10] 排水量六〇〇〇噸、時速三二節。同時に竣工のケルンと共に二九年春竣工のケエーニヒスベルグ級に属し之の三隻を3K巡洋艦と稱ぶ。
- ^ 4月10日には、ベルゲンで姉妹艦ケーニヒスベルク (Königsberg) が[21]、イギリス海軍艦隊航空隊(第800海軍飛行隊、第803海軍飛行隊)のブラックバーン スクアにより撃沈された。
- ^ ノルウェーからドイツへの帰路についていたポケット戦艦のリュッツォウ (Lützow) もイギリス潜水艦スピアフィッシュ (HMS Spearfish) の雷撃で大破した(オスロフィヨルドの戦い)[8]。
脚注
- ^ a b c d e #S11、官房第421号 p.10〔 獨國軍艦「カールスルーエ」要目(ジェーンヌスファイティングシップスニ據ル) 〕
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 163(原本308-309頁)巡洋艦カールスルーエ
- ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 164(原本310-311頁)巡洋艦ケルン
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 16.
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)独逸国練習艦「カールスルーエ」艦長海軍中佐「レオポルト、ジイメンス」外一名叙勲ノ件(国立公文書館) 」 アジア歴史資料センター Ref.A10113184100
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 99a-100K級軽巡洋艦 ケーニヒスベルク級/軍備制限枠内で最大限の戦闘力を追及した戦後ドイツ型軽巡
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 63–66ノルウェイ作戦「ヴェーザー演習」
- ^ a b 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 73.
- ^ a b c d e イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 99b.
- ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 56.
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 30.
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 100.
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 129.
- ^ #S11.01足柄日誌(2) p.2(昭和11年2月21日金曜日記録)〔 0900|獨艦「カールスルーエ」號入港 〕〔 摘要 独艦「カールスルーヱ」在泊 〕、#S11.03羽黒日誌(1) p.2(昭和11年3月2日記録より)〔 1600|獨逸軍艦カールス・ルーエ號出港 〕
- ^ #S10.12羽黒日誌(2) p.36(昭和11年2月24日記録より)〔 0927|獨練習艦カールスルーエー艦長来訪/0950|獨練習艦カールスルーエー艦長退艦/0957|艦長出艦(獨軍艦訪問) 〕
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 66–71ノルウェイ作戦始まる
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 67.
- ^ German Light Cruisers of World War II, p.112
- ^ a b German Cruisers of World War Two, pp.90-91
- ^ German Cruisers of World War Two, p.91
- ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 70.
- ^ “第2次大戦で沈没のドイツ軍艦、80年ぶりに発見 ノルウェー沖”. CNN. 2020年9月9日閲覧。
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- 2 カールスルーエ (軽巡洋艦・3代)の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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