オニクス・グランプリとは? わかりやすく解説

オニクス・グランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 17:38 UTC 版)

オニクス・グランプリOnyx Grand Prix)は、1989年から1990年にかけてF1に参戦していたレーシングチーム。創立者はマイク・アール。設立時ファクトリーはイングランド南東部ウェスト・サセックス州リトルハンプトンに置かれた[1]


  1. ^ Moneytron Onyx 1989F1日本グランプリ公式プログラム 56頁 株式会社鈴鹿サーキットランド 1989年10月発行
  2. ^ a b オニックスF1ヘ向けて始動 GPX '88スペインGP号 28頁 1988年10月22日発行
  3. ^ この信頼関係に関連し、1989年8月にはデニスがホンダに対して第二のエンジン供給先としてオニクスを推薦したこともあった。 出典:ホンダの新たな供給先はオニックスかティレルか? GPX '89イタリアGP号 37頁 1989年9月30日発行
  4. ^ アルボレートの行方はオニックスか GPX '88ポルトガルGP号 28頁 1988年10月15日発行
  5. ^ 特にアルボレートは「今になって予備予選は絶対に嫌だ。」と条件を譲らなかった。しかし結果的にアルボレートは同年後半に予備予選組のラルースに移籍する。
  6. ^ F1の奇妙なスポンサー2:怪しすぎるオーナーの下、チームは活躍「マネートロン」 motorsport.com 日本版(2020年4月20日)
  7. ^ 来シーズンのガショー グランプリエクスプレス '89日本GP号 45頁 1989年11月9日発行
  8. ^ バン・ロッセムは'89シーズン中から「もっとチームを大きくしたい。そのためのカネは出す。アラン・プロストネルソン・ピケに入ってもらえたら最高だと思ってコンタクトを取ったし、ポルシェのエンジンは絶対に取りたい」とポルシェ獲得に執着していた。
  9. ^ 前年でチーム・ロータスとの契約を終えた中嶋悟とも交渉があった。中嶋側は予備予選が無いことを重要条件としていた。これはホンダに第2の供給チームとしてオニクスかティレルを推薦したロン・デニスのアレンジでもあった。中嶋は結果的にティレルと契約するがオニクスも候補先の1つであった。
  10. ^ a b ブラバムとオニックスに合併の動き 売りに出された両チーム グランプリ・エクスプレス アメリカGP号 30頁 山海堂 1990年3月31日発行
  11. ^ ブラバムの新オーナーとなるミドルブリッジ・グループが実際にオニクスを3月に一度買収していた。
  12. ^ スイス投資家グループはチーム創設者のアールからではなく、ミドルブリッジからの転売でオニクスのオーナーとなった。
  13. ^ 混迷極めるオニックス デザイナー抜きの再出発。 グランプリ・エクスプレス サンマリノGP号 31頁 山海堂 1990年6月2日発行
  14. ^ オニックスの名前がF1から消える グランプリ・エクスプレス 西ドイツGP号 30頁 山海堂 1990年8月18日発行
  15. ^ オート・テクニック 1990年6月号 山海堂
  16. ^ モンテベルディ F1から撤退 F1GPX 1990年第11戦ベルギーGP号 30頁 山海堂 1990年9月15日発行
  17. ^ MONTEVERDI Formula1モンテヴェルディ・オートミュージアム公式ウェブサイト


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