エストニア (クルーズフェリー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 01:41 UTC 版)
エストニア(Estonia)は、ヴァイキング・サリー(Viking Sally)として建造され、シリヤ・スター(Silja Star)、ヴァーサ・キング(Wasa King)と名称を変えたクルーズフェリー。1994年9月28日にバルト海で沈没したが、この事故は平時において852人の犠牲者を出した20世紀最悪の海難事故の一つとして知られている[1][2]。
- ^ 当時のヴァイキングラインは、企業ではなく複数社によるコンソーシアムであった。なお、他のヴァイキングラインの共同事業主である、SFラインも興味を示していた。
- ^ ヴァイキングラインの共同事業主でもある。
- ^ 1982年の夏季は、ナーンタリ - マリエハムン - カペルシャーという航路であった[6]。ヴァイキングラインの紹介では、この他にストックホルム - ヘルシンキ航路があげられている[7]。
- ^ 船尾途中に緩やかな「下向きの」傾斜を付ける改装。
- ^ タリンに本社を置くノードストレム&スーリンと エストニアン・シッピング・カンパニー(ESCO:Estonian Shipping Company、エスティ・メレラエヴァントゥス(Eesti Merelaevandus))の子会社[JAIC 2]。
- ^ なお、記録上バルト海の最大波高は7.7mである[13]
- ^ 緊急事態が発生したことを知らせる警報、General Alarm[16]。退船警報とされることもあるが、救命ボートへの移乗警報が別途行われたため、これに退船警報を充て、ここでは一般警報とする。
- ^ メーデーは、3回繰り返すところを2回であった。
- ^ 1時22分のメーデーにマリエッラが応答したが、エストニアからの反応はなかった。シリヤ・ヨーロッパとの交信は、当初のものを除きフィンランド語で行われた[JAIC 7][14]。
- ^ マリエッラは、エストニアからの応答が得られなかった後、1時42分にヘルシンキの無線局と交信している[JAIC 9]。
- ^ 当時の水温は10 – 11°C[JAIC 4]。
- ^ Ro-Ro船が有する広い車両甲板は、水が流れ込むと、重心の変化と自由表面効果によって転覆の危険をもたらす[21]。
- ^ スウェーデン、ロシア、フィンランド、ラトビア、デンマーク、エストニア[32]。
- 1 エストニア (クルーズフェリー)とは
- 2 エストニア (クルーズフェリー)の概要
- 3 沈没事故
- 4 構造
- 5 画像
- 6 外部リンク
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