ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:28 UTC 版)
「ポッテンドルフ線」の記事における「ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道」の解説
1860年代にラープ鉄道とグロクニッツ鉄道の連絡線がすでに多数の工場主により計画されて、1864年9月30日に建設許可の証書が1868年までの開通の条件で発行された。建設業者と利害当事者の資金は充分であったけれども、資金の統合が合議されるのができなくて、その建設免許は返還された。1869年8月23日に新たに効力の発生された一般鉄道の建設と運営に関する許可により、ウィーナー・ノイシュタット - グラーマトノイジードル区間は1871年9月1日に「ウィーナー・ノイシュタット=グラーマトノイジードル鉄道」という路線名で開通された。鉄道会社はウィーンとプレースブルク区間の鉄道との接続の目的でグラーマトノイジードル - フィシャメント区間建設を計画したが、建設許可は1882年別の会社に与えられた。実際の建設区間がマナースドルフ - シュヴェーヒァトに変更された。 1872年9月10日にウィーン銀行連合はウィーン - ポッテンドルフ区間およびエーベンフルトのオェーデンブルク方面の国境区間の鉄道敷設と運営に関する許可を獲得して、1875年既存の路線と合わせて「ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道」の法人が設立された。1874年5月7日にウィーン・ブルメンタール - ヴァンパースドルフ区間が開業されて、1875年11月3日にウィーン・マイドリングまで延長された。ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道は後で路線運営権を南部鉄道会社に譲った。
※この「ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道」の解説は、「ポッテンドルフ線」の解説の一部です。
「ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道」を含む「ポッテンドルフ線」の記事については、「ポッテンドルフ線」の概要を参照ください。
- ウィーン=ポッテンドルフ=ウィーナー・ノイシュタット鉄道のページへのリンク