インド奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:48 UTC 版)
フマーユーンからインドを奪ったシェール・シャーは名君として後世に大きな影響を与える政治改革を行なった。このためスール朝は強盛であったが、1545年5月にシェールはカーリンジャルで大砲の暴発により不慮の事故死を遂げた。跡を継いだシェール・シャーの息子のイスラーム・シャーは父ほどの器が無く、スール朝の支配に陰りが見えてきた。 フマーユーンはこのような状況を見て、ペルシア兵を主力とした軍勢を以てインド方面へと帰還し、兄弟らに宣戦した。その後、1545年3月にアスカリーからカンダハールを奪還した。さらに11月にはカーブルも奪って弟のカーラムーンを追放した。その際、捕虜になっていた息子のアクバルを救出した。 フマーユーンは以後の9年間、アフガニスタン東部の覇権をめぐって弟らと戦った。ヒンダールはカーラムーンに奇襲されて殺され、アスカリーはメッカ巡礼を命じられ、カーラムーンは盲目にされた。 1554年、イスラーム・シャーが死去して12歳の息子であるフィールーズ・シャーが貴族によって擁立された。だが、1ヶ月も経たないうちに継承争いが起こって彼は殺害され、スール朝は王族3人が争う事態となった。 同年末、フマーユーンはこの機に乗じてインドへと戻り、12月30日にはインダス川を渡った。彼はスール朝を滅ぼして、1555年7月23日にデリーの王座を取り戻した。
※この「インド奪還」の解説は、「フマーユーン」の解説の一部です。
「インド奪還」を含む「フマーユーン」の記事については、「フマーユーン」の概要を参照ください。
- インド奪還のページへのリンク