インドの宗教間対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 23:30 UTC 版)
インドの宗教間対立(インドのしゅうきょうかんたいりつ)では、インド国内における宗教間の対立問題およびパキスタンなどの近隣諸国との間で発生している「宗教に起因するトラブル」を解説する。インド国民の80%以上が信仰するヒンドゥー教は信仰や教義の面で他宗派にたいして寛容である[1]こと、13世紀から18世紀にかけて北インドを支配したイスラム教徒のデリー・スルターン朝やムガル帝国は帝国の安定化のためヒンドゥー教徒との融和策を積極的に行った[2]ことから、一般のインド人は他人の信仰に寛容である。にもかかわらず20世紀に入って以後インド国内で宗教間の対立が目立ち始め、現在に至っている。これはインドを植民地として支配したイギリスが、インド人民が団結して植民地支配に反対することができないよう、宗教間やカースト間の違いを強調して対立をあおる「分割統治」の政策を行ったことが大きな要因である[3]。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は1947年の植民地からの独立時に、もともと一体であったインドが宗教の違いによって 2つの国家となるインド・パキスタン分離独立という事態となった。建国後の両国は激しく対立し、3次にわたる印パ戦争を起こしている。またインド国内でもヒンドゥー至上主義者が扇動した暴動事件やイスラム教過激派によるテロ事件がしばしば発生している[4]。
- ^ 森元達雄 p32
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p39-41
- ^ a b c 「朝倉世界地理講座4」p45
- ^ 民族義勇団とヒンドゥー・ナショナリズムも参照
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p234
- ^ 「インドを知る辞典」p22
- ^ 「インドを知る辞典」p73-75
- ^ 「インドを知る辞典」p76
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p37
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p39
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p40-41
- ^ 「世界地誌シリーズ5インド」p95
- ^ イスラム教徒は犠牲祭で牛を供儀(生贄とする)するが、ヒンドゥー教徒は牛を大切にする。19世紀後半になってこれが両宗派間の対立を引き起こした。「世界地誌シリーズ5インド」p93
- ^ ヒンドゥー教の範囲の曖昧さは現在も残っており、インド憲法第25条ではインドで発祥した「スィク教」「仏教」「ジャイナ教」の信者も広義のヒンドゥー教徒とされる。「インドを知る辞典」p26
- ^ 「インドを知る辞典」p21
- ^ 「朝倉世界地理講座4」p198
- ^ a b 「朝倉世界地理講座4」p46
- ^ 「インドを知る辞典」p26
- ^ 戦争終結後も両国間の小競り合いは続いており1999年にも小規模な戦闘が起こった。
- ^ 中島岳志 p20
- ^ 中島岳志 p106
- ^ 中島岳志 p235
- ^ 中島岳志 p3-4
- ^ 中島岳志 p97-99
- ^ 中島岳志 p139
- ^ 中島岳志 p141-144
- ^ 「インドを知る辞典」p72
- ^ 2001年の国勢調査では州の総人口2,400万のうち約60%がスィク教徒、「朝倉世界地理講座4」p187
- 1 インドの宗教間対立とは
- 2 インドの宗教間対立の概要
- 3 脚注
- インドの宗教間対立のページへのリンク