デリースルターン‐ちょう〔‐テウ〕【デリースルターン朝】
デリー・スルターン朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 00:20 UTC 版)
デリー・スルターン朝(デリー・スルターンちょう、Delhi Sultanate)は、13世紀初頭から16世紀初め(1206年 - 1526年)までの約320年間デリーを中心に主として北インド[1]を支配した5つのイスラーム王朝の総称。名称に関しては、デリー・スルタン朝、デリー諸王朝、デリー・サルタナットなど様々ある。
- ^ ハルジー朝とトゥグルク朝のみほぼインド全土を統一。
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.109
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.112
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.115
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.116
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.123
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.89
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.90
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.124
- ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.130
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.91
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.132
- ^ a b c 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.115
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.147
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.158
- ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.149
- ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.116
- ^ a b チャンドラ『中世インドの歴史』、p.182
- ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.163
- 1 デリー・スルターン朝とは
- 2 デリー・スルターン朝の概要
- 3 参考文献
デリー・スルターン朝
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「インドの歴史」の記事における「デリー・スルターン朝」の解説
詳細は「デリー・スルターン朝」を参照 いっぽう、ゴール朝のマムルークであったアイバクは、ゴール朝の軍とともに北インドにとどまり、1206年にデリーに都をおいて奴隷王朝を建てて自立した。これより約300年間、デリーを都としたムスリム5王朝が興亡を繰り広げた。この時代をデリー・スルターン朝と称する。 デリー・スルターン朝の5王朝、すなわち奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ローディー朝の君主はいずれもスルターンの称号を用い、デリーに都を置いたため、デリー・スルターン朝と総称される。 5王朝は北インドをあいついで支配し、特に14世紀初頭のハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーと14世紀前半のトゥグルク朝のムハンマド・ビン・トゥグルクの治世には、デカン、南インド遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。最後のローディー朝のみアフガン系であるが、他はいずれもトルコ系である。こうしたなか、ティムール軍が1398年にデリーに侵入している。 この時代の北インドでは、インド在来の社会組織を利用して統治する現実的な方法がとられ、イスラームへの改宗が強制されることはなかったが、イスラーム神秘主義者スーフィーの活動などもあって、都市を中心に徐々にイスラームが普及していった。
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