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イオニア七島連邦国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/27 17:50 UTC 版)
イオニア七島連邦国(Επτάνησος Πολιτεία)は、ギリシャ、イオニア諸島の島7つで構成されたオスマン帝国が宗主権、ロシア帝国が保護権を持つ短期間、存在した国家のことである。
注釈
- ^ 詳細に説明すると1386年から1797年までヴェネツィアが支配、1797年から1800年までがフランス、1800年から1807年がイオニア七島連邦国(事実上のオスマン帝国、ロシア帝国の共同統治)、1807年、フランス、1809年から1810年、1814年から1864年がイギリスと支配国が変遷を遂げ、最終的にギリシャ領になったのは1864年であった[3] 。
- ^ テペデレンリ・アリー・パシャ(1750年? - 1822年)、イオアニアやアルバニアを中心として勢力を誇った地方豪族。オスマン帝国からは半ば独立状態であったが、フランスやイギリスと独自の外交を行ったため、オスマン帝国の反感を買い、1822年、オスマン軍の攻撃により殺害された。彼は過酷な支配から『イオアニアのライオン』と呼ばれていた[4] 。
- ^ ナポレオンは「ケルキラ、ザキントス、ケファロニアの島々はイタリア全土以上に我々の利害関係がある」と執政府に語った[5]。
- ^ ただし、これはアリ・パシャがイオニア諸島に触手を伸ばす事を防ぐために行なわれたとする説がある[7]。
脚注
[続きの解説]
「イオニア七島連邦国」の続きの解説一覧
- 1 イオニア七島連邦国とは
- 2 イオニア七島連邦国の概要
- 3 関連項目
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