アシュレー将軍の探検隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 06:05 UTC 版)
「ヒュー・グラス」の記事における「アシュレー将軍の探検隊」の解説
1822年、『ミズーリガジェット』紙と『パブリックアドバイザー』紙にウィリアム・ヘイリー・アシュレー将軍の名で募集広告が載る。 「毛皮貿易を目指しミズーリ川を船でさかのぼる探検隊の参加者100名公募」 この募集はアシュレーとヘンリーが創設したロッキー山脈毛皮会社(英語版)の仕事を請け負う罠猟師を集めるためで、この会社は1822年から1825年にわたり当時の北アメリカ西部の未開地でなんどか大掛かりな罠猟をしている。グラスが参加したのは2回目の遠征だったといい、志願したなかには当時すでにマウンテンマンとして名をはせる罠猟師も混じっていて、その面々はウィリアム・サブレット、ジェイムズ・ベックワース、ジェデダイア・スミス、デイビッド・ジャクソン、トマス・フィッツパトリック、それに10代のジム・ブリッジャー他。のちのち「アシュレー百人隊」と呼ばれる者たちである。 探検隊は1823年5月、アリカワ族の戦士たちに襲撃され、グラスはこのとき足を弾で撃たれた。このままミズーリ川をたどってはふたたび襲われる危険があると考えたグラスは、イエローストーン川との合流点で落ち合うことにして数名をまとめて本隊を離れた。陸路で進むルートをたどったため命拾いをしたという。
※この「アシュレー将軍の探検隊」の解説は、「ヒュー・グラス」の解説の一部です。
「アシュレー将軍の探検隊」を含む「ヒュー・グラス」の記事については、「ヒュー・グラス」の概要を参照ください。
- アシュレー将軍の探検隊のページへのリンク