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よしもと新喜劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/17 11:20 UTC 版)
| よしもと新喜劇 | |
|---|---|
よしもと新喜劇の番組収録が行われている
なんばグランド花月 |
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| ジャンル | 演芸/バラエティ番組 |
| 放送時間 | 毎週土曜12:54 - 13:54(60分) |
| 放送期間 | 1962年9月 - 現在 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 毎日放送・吉本興業 |
| 演出 | 池田義博(舞台監督)、斎藤克 |
| プロデューサー | 東郷泰樹(MBS) 覚野公一(よしもとクリエイティブ・エージェンシー) |
| 出演者 | 出演メンバー参照 |
| 音声 | ステレオ放送 |
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特記事項: 2007年5月よりハイビジョン制作。 かつては日曜12時→土曜15時→土曜12時に放送されていた。 |
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『よしもと新喜劇』(よしもとしんきげき)は、毎日放送で毎週土曜日12:54からテレビ放送されている吉本新喜劇のコメディ番組である。1962年(昭和37年)9月放送開始の長寿番組である。字幕放送(開始時期については不明)。ハイビジョン制作であるが、一部地域のみハイビジョン放送(下記記述)。
目次 |
概要
吉本新喜劇所属のタレントによって行われているコメディ劇のうちなんばグランド花月で公開録画されているものを示す。
間寛平、今田耕司、東野幸治、藤井隆、山田花子、レイザーラモンHG(住谷正樹)など多くの出演者を売れっ子お笑い芸人として輩出したテレビ番組であり、松竹新喜劇と並び関西喜劇の双璧をなす。
近畿地方のほか、東海・中国・四国・九州地方など主に西日本地域で長年放送されており、放送時間が土曜日の昼過ぎということもあって、(当時土曜の昼までの授業後)学校から急いで帰宅し、親子で食事をしながら見る子供も多く、ここでの劇中で使われる言葉がテレビを通じ、子供達の間で流行語となるほどの人気が出た。
1997年から、この番組の全国版として「超!よしもと新喜劇」(後に「超コメディ60!」としてリニューアル)が東京のスタジオからゴールデンタイムで放送された。しかし、笑いのツボの違う東京向けにアレンジされていたために、関西のみならず全国の新喜劇ファンのウケが悪く、結局短期間で終了した(詳細は当該番組の項参照)。
朝日放送(ABCテレビ)で、毎週日曜日に放送されているものは「日曜笑劇場」と呼ばれている。かつては、これとは別になんば花月で公録した「お笑い花月劇場」も土曜の午後に放送していた(この頃は毎日放送はうめだ花月からの公開収録だった)。
現在オープニングは、お約束のテーマソングで舞台の緞帳(どんちょう)が上がるものを映すものとなっている。2011年2月ごろまでは出演者とその役柄が高速でスクロールで流れる方式だった(役者の名前と顔を一致して覚えてもらうために、舞台に役者が初めて出てきたときも名前が再度表示されていたが、2010年後半以降はなくなっている)。終了後緞帳が下りながらのエンドロールとして、出演者とスタッフの一覧が流れる。1990年代後半には、本編終了後に島田珠代などが進行する「玉手箱」のコーナーや、舞台前や終了後に芸人2人がフリートークするコーナーがあった時期もある。今でも、一連の放送完了後、不定期にイベントや劇団員募集の告知は行われている。
現座長は内場勝則、辻本茂雄、小籔千豊、川畑泰史の4人であり、その中から1名が作家と相談しつつ台本を作成する方式を採っている。
なお、収録日から2週間程度の間を置いてテレビ放送されることが基本であるが、特番などによって放送日が収録日から1か月以上あとになった場合、4本の撮り溜め(ストック)を放出するために「調整週」としてテレビ収録・放送が行われないこともまれにある。
現在は、CSのGAORAでも放送されているが、半年以上遅れの放送となっている。
字幕放送を実施している(一部地域を除く)。(笑い)と(拍手)の部分は人の顔と手の形を施した独自の表示をしている。
収録先となる大阪・千日前なんばグランド花月がHD化工事(期間:2007年2月22日〜同年3月17日)が行われ、2007年4月17日 - 23日(5月5日放送)から、工事完了によりMBS・中部日本放送(CBC)の地上デジタル放送ではHDで放送されるようになった。
経歴
MBSテレビ開局とうめだ花月
ABCとの合弁会社大阪テレビ放送の絡みでテレビ単独では在阪最後発となったMBSは、1959年(昭和34年)の開局当時、大阪・堂島の毎日大阪会館に置かれた本社にスタジオが3つしかなく局内製作に限界があった。このため、MBSは地場で劇場を所有する興行主と業務提携を交わし、その劇場に放送機材を設置して公開放送を行うことにした。
詳細は「MBSテレビ#概要」および「高橋信三#千里丘移転」を参照
終戦後に舞台演芸から映画館運営へと経営の主軸を移していた吉本興業は、映画の斜陽化を見通しテレビ時代に見合うコンテンツとして舞台演芸に再参入するべく、大阪・梅田にあった映画館「梅田花月劇場」を演芸場に切り替える計画を進めていた。そこへMBSが大阪地区民放第4局として単独で開局することになり、コンテンツ確保とスタジオ不足を一気に解消できるとして、両社は提携契約を交わした。こうしてうめだ花月がMBSの放送機材設置場所に選ばれた。
詳細は「吉本興業#演芸王国の復活(昭和34年~)」を参照
当時、吉本興業事業部次長だった八田竹男は、テレビ時代の演芸の形としてうめだ花月に観客を集めるため所属芸人がテレビで名前を売る場を設ける必要があると考え、まったく新しいスタイルの軽演劇を起こすことにした。この軽演劇こそ吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」で、うめだ花月とMBSテレビ双方の大看板になるべく、両社の社運をかけて立ち上げられた。
詳細は「吉本新喜劇#創立」を参照
MBSテレビ開局当日となった1959年3月1日、うめだ花月も開場。吉本ヴァラエティの初公演「アチャコの迷月赤城山」が記念番組として生中継された。これがこの番組の源流である[1]。しかし開局後しばらくは、スポンサーが取りにくかったこともあって新喜劇は不定期放送だった。
レギュラー番組化 - 全国ネット
やがて大正製薬がスポンサーに付き、「サモン日曜お笑い劇場」の名前で日曜正午から45分間に渡り放送された。また、初期〔1962年12月2日〜1963年秋〕の頃、当時MBSのキー局であったNET(現:テレビ朝日)をはじめ同系列全国同時ネットで放送された。しかし、笑いの嗜好がまったく異なる関東では受け入れられず、NETは翌1963年(昭和38年)6月、水曜日昼枠で地元芸人を中心とした『テレビ寄席』を立ち上げる。MBSでは『テレビ寄席』もネット受けするが、今度は逆に近畿圏の視聴者が東京の寄席に馴染めないという理由で低迷。関東での好評によって『テレビ寄席』が日曜正午へ移動した同年10月の改編で、MBSは『テレビ寄席』を、NETも『サモン日曜お笑い劇場』の放送を互いに打ち切りあった。
詳細は「日曜笑劇場#腸捻転時代」および「大正テレビ寄席#関西圏での扱い」を参照
このとき、当時MBS社長だった高橋信三は「江戸笑芸は関西では受け入れられにくい。テレビ寄席の視聴率が低迷するのは当社にとって判りきっていたことで、互いに打ち切り合うという判断は正しかった」と述べたという。
詳細は「毎日放送#江戸笑芸番組に対する扱い」および「高橋信三#大正テレビ寄席打ち切り事件」を参照
地方への番販と打倒ABC
大正テレビ寄席打ち切り事件で一度は定期放送存続の危機に立たされた新喜劇放送だったが、上方お笑い文化の発展と継承に人一倍のこだわりを見せた高橋と、その部下の奔走によって存続が決まる。
高橋の腹心で後にMBS社長になる斎藤守慶が中心となっていたMBSテレビ営業局は、大正が日曜12時台のNET系全国ネット提供を『テレビ寄席』に一本化する方針だったにもかかわらず、『テレビ寄席』と『日曜お笑い劇場』が同じ放送時間になったという理由で引き続き『お笑い劇場』のスポンサーとして残るように依頼する(事実上の企画ネット番組)。大正の社長だった上原正吉は最終的に高橋の説得の前に折れ、出稿継続を了承した。これによって『お笑い劇場』は関西ローカルベースでの存続が決まり、『スチャラカ社員』で全盛を極めていたABCを追撃する体制が整った。
詳細は「斎藤守慶#対等意識とキー局指向」を参照
MBSの作戦は奏功し、『お笑い劇場』の1年前にスタートしていた『スチャラカ』の視聴率を追い抜くことに成功。MBSの看板番組として腸捻転解消までこの時間帯の在阪民放トップを独走した。
1966年(昭和41年)、『スチャラカ』の担当ディレクターだった澤田隆治はABCの局舎移転にあわせてテコ入れを目論むが、これに脚本の香川登志緒が反発して匙を投げ、翌1967年(昭和42年)4月、打ち切りに追い込まれる。
詳細は「スチャラカ社員#ABCセンターと転機」を参照
ABCは『スチャラカ』終了後も『お笑い劇場』の裏番組として同種のコメディ番組をぶつけてくるが軒並み視聴率を取れず、1年どころか半年(2クール)持たずに打ち切られるケースが続出して「魔の時間帯」と呼ばれるようになる。さらに澤田と香川の対立は同じ日曜日の夕方に放送されていた『てなもんや三度笠』に飛び火し、こちらも1968年(昭和43年)4月改編で打ち切られる。ABCでは後続作品(『てなもんや一本槍』『てなもんや二刀流』『スコッチョ大旅行』)のスタッフから澤田を外し、これが後に澤田の独立への伏線となる。
詳細は「てなもんや三度笠#番組の終焉」および「スチャラカ社員#ABC魔の時間帯」を参照
「澤田隆治#朝日放送在職時代」および「香川登志緒#澤田隆治」も参照
そして1971年(昭和46年)1月、ABCは現在も続く『新婚さんいらっしゃい!』を投入して旧OTV時代の『ダイラケのびっくり捕物帖』以来14年間に渡った日曜12時台のコメディの放送を一度は諦める。その『新婚さん』も最初は1年以内で打ち切られるのではないかという半ば諦めムードの中で立ち上げられたとまでいわれている[2]。
詳細は「スチャラカ社員#ABC日曜夕方枠への影響と澤田の処遇」および「新婚さんいらっしゃい!#視聴率」を参照
やがて「○曜お笑い劇場」の名で、地方局にも番組販売という形で再び放送されるようになった。しかし、NET系列局のある地域であっても、中京広域圏では当時の名古屋テレビや中京テレビではなく、長い間東海テレビ(フジテレビ系列局)で土曜の正午から放送されていた(後に名古屋テレビへ移行)。また、広島県でも広島ホームテレビではなく、広島テレビで放送されていた(1973年頃は土曜日の正午に放送されていた)。
ネットワーク変更以降
1975年(昭和50年)3月31日、いわゆるテレビネットの腸捻転解消によって、毎日放送のキー局がTBSに代わった。このとき、大正製薬は『テレビ寄席』がまだ関東地区で一定の支持を得ていたこともあってNET系列での企画ネットによる出稿継続を決める。日曜12時台の大正提供枠は新たにNET系列となったABCテレビに移行させ、13年間続いたMBSへの出稿は引き上げることになった。こうしてABCで新たにスタートしたのが『日曜笑劇場・あっちこっち丁稚』である。
詳細は「日曜笑劇場#MBSからABCへ」および「あっちこっち丁稚#概要」を参照
MBSでは日曜お笑い劇場を現在と同じ1時間枠に変更、「花月爆笑劇場」[3]と番組名を改称。当時正午からだったお昼のJNNニュースをJNN排他協定の絡みで同時ネットしなければならなくなり開始時間に制約ができたこと、また日曜日の午後1時台がABCから移行したTBS発番組(『ロッテ歌のアルバム』と『家族そろって歌合戦』)の絡みで使えなくなった[4]こと、さらにABCで土曜日に放送されていた『お笑い花月劇場』にぶつける必要性があったことなどから、土曜日15:00 - 15:55に移動させた。そして、大正製薬に代わる地場スポンサーを吉本興業と共同で開拓、番組の継続にメドをつけた。
詳細は「お笑い花月劇場#概要」および「スチャラカ社員#MBSへの影響」を参照
「斎藤守慶#ネットチェンジと新喜劇」も参照
日曜日12時台には後続番組だった『がっちり買いまショウ』を移動させるが、JNNニュースによる開始時間の制約で視聴者の多くが『笑劇場』に流れてしまい、1975年末『がっちりショッピング』に全面リニューアルしたものの結局1977年(昭和52年)4月改編で終了した。この改編で正午からのJNNニュースがその前の午前11時台に移動し、時間の制約はなくなったものの、MBSは『花月爆笑劇場』を日曜日に戻し『笑劇場』にぶつけることはしなかった。この結果、MBSでは『アッコにおまかせ!』がスタートする1985年(昭和60年)まで、日曜日12時台の番組が数ヶ月で目まぐるしく変わっていき1960年代後半のABCも真っ青の状況となった。1979年(昭和54年)10月改編以降は自社制作枠を返上してTBS制作番組のネットに変更。『ダイラケ』以来21年に渡ったTBS系列日曜12時台関西発バラエティ番組の歴史が途絶えた。
詳細は「がっちり買いまショウ#番組の終焉とその後」および「伸介のグリコがっちりショッピング#わずか1年4ヶ月で終了」を参照
「スター芸能大合戦#番組事情」および「婚約診断スイッチON#番組概要」も参照
その後、『花月爆笑劇場』は土曜12時台に再度移動し、現行の「よしもと新喜劇」のタイトルに変更される。
1987年(昭和62年)、なんばグランド花月(NGK)が開館するが、当初NGKでは新喜劇興行は行われず、うめだ花月での興行、収録が続けられた。同じ頃ABCは『The ハタラケ興業』の打ち切りを持って一度は『笑劇場』としての新作制作を中止、『お笑い花月劇場』を土曜日から日曜日に移動したものの翌1988年(昭和63年)4月改編で打ち切り、5月にはなんば花月も閉鎖となってしまう。しかし1989年(平成元年)の「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」で若手中心の「ニュー新喜劇」チームがうめだ花月からNGKに移動。翌1990年(平成2年)3月、うめだ花月が閉鎖され、当番組の公開録画の会場も長年慣れ親しんだ梅田から難波に移動した。
詳細は「日曜笑劇場#グランド花月へ移動」および「吉本新喜劇#新喜劇人気の下火と復活」を参照
2001年(平成13年)4月改編で土曜日午前中のローカル生ワイド『せやねん!』がスタートすると12時台もそちらに充てられることになり、『せやねん!』終了後の午後1時台の放送に変更して現在に至る。
詳細は「せやねん!#概要」を参照
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- ^ この経緯もあって、うめだ花月で録画される番組は、全て毎日放送が放送した。
- ^ 三上泰生『6chは上方文化や』(大阪書籍 ISBN 4754818350)に記述あり。
- ^ 火曜日の22時台に放送されていた『花月脱線劇場』と混同される場合があるが、全くの別番組である。
- ^ 特に『家族そろって』はJNNネットワーク協議会所管で、加盟各局が毎週持ち回りで制作していた。
- ^ 2001年4月~2007年9月の間は『晴れ・どきドキ晴れ』枠に内包。腸捻転時代は東海テレビ・メ〜テレで放送。また、エンディングの製作著作のテロップが出るあたりで『来週もお楽しみに!!or次回は○月○日にお送りします(後者は、翌週に当番組の放送がない場合に表示)』というイエローバックのテロップをCBC側で送出している(MBS側で『このあとは名珍場面』と表示している位置に被せるかたちで表示)。
- ^ 特番等の影響で放送しないことも時折発生する。1996年頃までは同時ネットだったが、王様のブランチ開始以降は1週遅れの14:00(後に16:00、単発特番やスポーツ中継の影響で放送しないこともあった)になった。2007年4月より1日遅れに縮小。2009年4月からハイビジョン放送に。
- ^ 1日で2週分を放送することもある。
- ^ 徳島県内ではMBSでも視聴できる。また、MBSが12:00開始だった時代は他系列にもかかわらず同時ネットであった。2009年に入ってから未実施だった字幕放送は、6月13日放送分から再開した。2009年4月からハイビジョン化。
- ^ 2009年3月中旬までは木曜 18時55分~19時55分に新作を放送し、従来の土曜12:54~13:54は再放送枠「名作撰」に変更していた。12:00開始時代に「王様のブランチ」第二部の同時ネットに切り替えて新喜劇を枠移動したことがあったが、不評のため半年で元通りになったことがある。現在「王様のブランチ」は第一部のネットに落ち着いている。
- ^ 1990年代後半に日曜13時00分~13時54分に放送していた時期がある。また、特番等が入る場合は放送が休止される事が多く、その度に遅れ幅が広がっている。
- ^ 2010年3月までは不定期放送だったが、2010年4月から正式にこの枠にて放送されている。
- ^ 1990年代後半に一時期ネット休止時期あり。以前までは28日遅れだったが、徐々に遅れ日数が少なくなっている。
- ^ 放送開始は1992年10月3日から。開始当初は13:00~14:00。
- ^ 1982年頃までお笑い花月劇場をネット。2012年2月4日放送開始。初回は25:50~26:50だった。
- ^ 再放送あり。2009年から2010年1月までは22時30分~23時30分だった。
- ^ 『はままつ新喜劇』10月29日テレビ放送決定 - 浜松市シティプロモーション情報WEBサイト
- ^ 『素晴らしき吉本芸人たち - 前田五郎写真館』- 同文書院、1999年。
- 1 よしもと新喜劇の概要
- 2 主な出演メンバー
- 3 放送局・日時
- 4 50周年記念番組
- 5 スタッフ
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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