「発見」と争奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/26 00:47 UTC 版)
この島は、1493年にコロンブスによって「発見」され、サン・マルティン島(スペイン語: Isla de San Martín)と命名されたが、スペインはこの島への植民を重要視しなかった。島に注目をしたのは、フランスとオランダであった。フランス人たちは、トリニダードとバミューダの中間に拠点を欲していたのである。1630年にフランス人とオランダ人が相次いで島にやってきて、当初は海賊の隠れ場所として使われていた。 1633年、スペインがオランダから島を奪取し、入植者たちのほとんどを追放した (Capture of Saint Martin (1633)) 。スペインはオランダによる奪回の試みを退けているが、一方で拠点経営への関心を失い、三十年戦争の終結と共に島を放棄した。
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