「天保銭」の制定
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1887年(明治20年)8月に「陸軍大学校条例」が大幅に改訂され、従来の第13条に該当する条文は第26条となり、「第26条 卒業者には卒業証書及ひ之を表章する徽章を付与す其徽章は定規の服装に於て上衣右乳部の下方に附着せしむ」と規定された。参謀職務適任証書を授与する従来の制度は完全に廃され、陸大卒業者全員に、卒業証書と、銀の菊座に金色金属の星章を配した「陸軍大学校卒業徽章」、いわゆる「天保銭」を授与する制度に変更された。よって、同年12月に卒業した3期(卒業者7名)以降の陸大卒業者には陸軍大学校卒業徽章が授与された。 秦郁彦は「参謀服務適任証書」(出典ママ)は陸大1期の10名と陸大2期の5名に授与されたのみで明治20年に廃止され、同年に、陸軍大学校卒業徽章(いわゆる「天保銭」)が制定されたと述べている。 稲田正純(陸大37期恩賜。陸大を卒業した後、1929年(昭和4年)から2年間フランス陸軍大学校に留学し、同校を卒業。)によると、帝国陸軍の陸軍大学校卒業徽章、いわゆる「天保銭」は、フランス軍の陸軍大学校卒業徽章に倣って制定されたものである。稲田はフランス陸軍大学校からも卒業徽章を授与され、日仏の「天保銭」を併せ持つことになったが、当時のフランス陸軍大学校では、外国軍から留学した将校だけに卒業徽章を授与していた。 卒業徽章を佩用した陸軍騎兵中佐当時の壬生基義(1912年頃) 卒業徽章を佩用した陸軍歩兵大尉当時の朝香宮鳩彦王(1914年頃) 卒業徽章を佩用した陸軍大将当時の秋山好古(1920年前後頃) 卒業徽章を佩用した陸軍歩兵中佐当時の李王垠(1932年頃) 卒業徽章を元帥徽章とともに佩用した元帥陸軍大将当時の武藤信義(1933年頃)
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