「天保銭」の制定とは? わかりやすく解説

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「天保銭」の制定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:28 UTC 版)

陸軍大学校」の記事における「「天保銭」の制定」の解説

1887年明治20年8月に「陸軍大学校条例」が大幅に改訂され従来第13条該当する条文第26条となり、「第26条 卒業者には卒業証書及ひ之を表章する徽章付与す其徽章定規服装に於て上衣乳部下方附着せしむ」と規定された。参謀職務適任証書授与する従来制度は完全に廃され陸大卒業者全員に、卒業証書と、銀の菊座金色金属の星章配した陸軍大学校卒業徽章」、いわゆる「天保銭」授与する制度変更された。よって、同年12月卒業した3期卒業者7名)以降陸大卒業者には陸軍大学校卒業徽章授与された。 秦郁彦は「参謀服務適任証書」(出典ママ)は陸大1期10名と陸大2期の5名に授与されたのみで明治20年廃止され同年に、陸軍大学校卒業徽章いわゆる「天保銭」)が制定されたと述べている。 稲田正純陸大37恩賜陸大卒業した後、1929年昭和4年)から2年フランス陸軍大学校留学し同校卒業。)によると、帝国陸軍陸軍大学校卒業徽章いわゆる「天保銭」は、フランス軍陸軍大学校卒業徽章倣って制定されたものである稲田フランス陸軍大学校からも卒業徽章授与され日仏の「天保銭」を併せ持つことになったが、当時フランス陸軍大学校では、外国軍から留学した将校だけに卒業徽章授与していた。 卒業徽章佩用した陸軍騎兵中佐当時壬生基義1912年頃) 卒業徽章佩用した陸軍歩兵大尉当時朝香宮鳩彦王1914年頃) 卒業徽章佩用した陸軍大将当時秋山好古1920年前後頃) 卒業徽章佩用した陸軍歩兵中佐当時李王垠1932年頃) 卒業徽章元帥徽章とともに佩用した元帥陸軍大将当時武藤信義1933年頃)

※この「「天保銭」の制定」の解説は、「陸軍大学校」の解説の一部です。
「「天保銭」の制定」を含む「陸軍大学校」の記事については、「陸軍大学校」の概要を参照ください。

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