「トラップ室内聖歌隊」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 14:07 UTC 版)
「ゲオルク・フォン・トラップ」の記事における「「トラップ室内聖歌隊」」の解説
1933年、オーストリアを襲った金融恐慌によってピンチに陥っていた亡妻アガーテの兄弟フランク・ホワイトヘッド(Frank Whitehead)が創立に名を連ねる友人アウグステ・ラマー(Auguste Caroline Lammer)の銀行を救うべく、ゲオルクはイギリスの銀行に預けていた亡妻の遺産をも含めた財産の殆んどをその銀行に投入した。しかし結局銀行は倒産し、フォン・トラップ家は破産してしまった。 すっかり意気消沈してしまったゲオルクに代わり、マリーアは貴族のプライドを捨ててフォン・トラップ邸の空き部屋を神学生に貸し出し、更にそれまで家族の手慰みであった歌を各地の催しで披露し収入にしていこうと想い立つ。幸いザルツブルク大司教座から派遣されてきた宿舎付き神父フランツ・ヴァスナー(Mathias Franz Wasner)はかつてローマで教会音楽を学びグレゴリオ聖歌に精通しており、やがて兄弟姉妹の歌の指導・編曲をするようになり、後にはフォン・トラップ家の財産管理も行うようになった。 その後、イベントで彼らの歌声を聴いたソプラノ歌手ロッテ・レーマンの紹介で1935年のザルツブルク音楽祭に参加し、神父の指揮で兄弟姉妹と母親で歌い優勝。以降、この合唱団はオーストリアで人気となり、やがて一家はヨーロッパ全域を巡り、「トラップ室内聖歌隊」という名前でコンサートツアーを行うようになる。
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