NF-Board
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 01:31 UTC 版)
歴史
背景
FIFAは原則的に「国際社会によって主権国家と認められた国家のサッカー協会」にのみ参加を許可している。従って現時点で独立を望む勢力が存在する地域(分離主義を参照)に関しては、当然ながら国際的に承認を得た国家として独立を達成するまでは、その協会がFIFAに参加する権利を持たない。その為、国際的影響力のあるFIFAが(結果的にではあるが)各地の独立運動に対して政府派(現体制側)を支持する格好になっており、独立派に属する人々にとって不愉快に受け止められていた。
2003年「現時点で独立を達成していない国」のサッカー協会を対象とした国際統括団体として NF-Board が設立された。この会議は各国の独立運動におけるサッカー活動の相互協力を謳い、最終的には加盟協会がFIFAに正式参加することを目標としている。団体の創設者の一人である弁護士の Luc Misson が事務局長を務めた。 Luc Misson は、ジャン=マルク・ボスマンの代理人としてボスマン判決を引き出し、ヨーロッパのサッカー選手により大きな自由を認めさせた人物である。
活動
NF-Board は、「サッカー競技をプレイする権利」を掲げ、加盟協会の試合を組織する。加盟協会を集めたVIVAワールドカップが2006年以降開かれていた。
NF-Boardは、2007年7月に最初の協会連盟を公認した。2007年5月25日設立の Consejo Sudamericano de Nuevas Federaciones(略称:CSANF)で、南アメリカのFIFA非加盟協会を代表する。EU域内のFIFA非加盟協会を代表するThe Confederation of European New Federations(略称:CENF)も NF Board との交渉を行っていたが、2009年に解散した。2009年には North America and Arctic New Federations(略称:NAANF) が設立され、NF-Boardとの交渉を行っている。
2007年9月からは、N.F.-Board News という公式冊子が出版されるようになった。イタリアのスポーツ・ジャーナリスト、Antonello Gallo を編集長とするこの冊子は年に4回出版され、加盟協会とともに潜在的な加盟協会の活動を伝えている。
活動の終焉
VIVAワールドカップは、規約によってすべての創設メンバーに拒否権を認めており、全会一致による大会運営が行われていた[1]。2013年2月にミュンヘンで開かれた会議において、投票権を持つ委員の間で対立が生じ、妥結が成立しなかったために、委員が1人を残して次々に辞任する事態に発展した[1]。James Hendicott によれば、こうしたことで NF-Board は失望を受け、崩壊したという[1]。
NF-Board の経験にかんがみ、2013年9月に独立サッカー連盟 (CONIFA) が組織された[2]。
- ^ a b c d Hendicott 2019, Kindle版位置No.218/3082.
- ^ Hendicott 2019, Kindle版位置No.220/3082.
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