M-4 (航空機) 退役時の動き

M-4 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 16:24 UTC 版)

退役時の動き

最後まで使用されたのが空中給油機型で、1994年まで使用された。

退役時の段階で、既に必要がなくなった試作機並びに試験機を含め10機がロシア国内で解体処分された。更に、Tu-22Mへの給油能力が長所であったところへIl-78マイダスが配備された。独特の自転車式降着装置によって機首上げ姿勢が必要とされるM-4とは違ってIl-78は通常の着陸が可能だったため、次第に老朽化した機体から処分する方向になった。

1980年代初頭に空中給油機型のM-4-2が28機、3MN-2が1機、3MS-2が10機の全ての機材が解体された。この段階でIl-78やTu-16Zといった空中給油機が戦力化されていたので給油機の不足は免れた。この中で3MN-2(56号)は、1994年3月21日にエンゲルスまで飛行し1996年に集積所に移動され解体された。これは1996年までに唯一残っていた3MN-2であった。

ミサイル運用型の3MDバイソンCは7機が残されていたが解体処分を免れて一時期はエンゲルスの保管基地に収容された。その後、1機の3MD(30番、c/n:0301804)が1986年3月に第6飛行場からエンゲルスへ、更にモニノの空軍中央基地へと空輸された。しかし、残る6機はソビエト連邦の崩壊による維持費の削減もあって重機により解体された。

これ以前にも、比較的後期に製造された爆撃機型の3Mが2機、3MS-1が9機、3MN-1が8機、3MSR-1が10機、3MSN-1が18機、偵察機型の3MRが4機残されていたが、既にTu-22MとTu-95、Tu-160の配備もありソビエト連邦が解体されて財政難に直面し維持費の捻出が困難になったため退役。その後の行方は不明である。

最終的にM-4が2機、3MDが1機、3MS-2が1機、VM-Tが2機が残され、ロシア国内の各地にある博物館で展示される形になった。







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