M-4 (航空機) 事故

M-4 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 16:24 UTC 版)

事故

M-4は就役中に12機が事故を起こしているが、その中で2機だけが全損を免れた。

  • 1961年7月12日、1機の3MDが火災により墜落。 
  • 1963年3月7日、2機の3Mが空中衝突で墜落。生存者は両機合わせて6名のみ。 
  • 1965年5月5日、1機の3MDが山に墜落し全損。 
  • 1965年5月27日、1機のM-4-2と1機のTu-95Kが空中衝突を起こしたが両機とも不時着して全損は免れた。
  • 1967年10月18日、1機の3Mが故障により滑走路から2.3km離れた畑に不時着したが全損せずに済んだ。
  • 1973年9月17日、1機のM-4-2が火災により全損。
  • 1975年5月13日、1機の3Mが火災により空中爆発を起こし全員が死亡。
  • 1978年7月7日、1機の3Mが火災を起こして墜落。航空機関士と砲手兼無線操縦士が死亡した。 
  • 1972年2月29日、1機の3MN-2が空中で減圧を起こして墜落したが乗員全員は生還した。 
  • 1972年4月15日、1機の3Mが荒天下で着陸する際に滑走路で撥ねて激突し炎上。乗員全員は死亡した。追随していた4機は無事だった。 
  • 1984年8月8日、1機の3MS-1が飛行中に火災を起こして都心部に墜落しかけたが乗員の奮闘により免れたものの5名が死亡した。

現存機

  • 3MD「赤の30」(c/n 6302831)、モスクワ州モニノの中央ロシア空軍博物館
  • M-4「赤の60」(c/n 0301804)リャザン州ディアギレヴォの長距離航空博物館
  • M-4「赤の63」(c/n 5301518)アムール州ウクライナカ市
  • 3MS-2「赤の14」(c/n 7300805)、サラトフ州エンゲルスの2番地

要目

3M “バイソンB”三面図
  • 全長:53.4 m
  • 全幅:52.5 m
  • 全高:11.5 m
  • 翼面積:320m2
  • 機体重量
  • エンジン:ミクーリン AM-3Dターボジェットエンジン (推力9,500 kg)× 4
  • 最大速度:マッハ 0.95
  • 航続距離:5600 km (フェリー時 8100 km)
  • 実用上昇限度:17,000 m
  • 武装
    • NR-23 23mm 機銃 6 基
    • ペイロード:15,000 kg
    • FAB-9000×2発
    • FAB-5000×2発 
    • FAB-3000×6発
    • FAB-500×28発
    • FAB-250×52発






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