IG・ファルベンインドゥストリー 清算

IG・ファルベンインドゥストリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 01:24 UTC 版)

清算

IGファルベンの清算は1952年に始まったが、その前後でGAF資産をめぐる駆け引きが展開された。

1948年10月21日、インターハンデルがGAF資産の返還を求めてアメリカの裁判所に訴えたが、証拠は提出しなかった。スイス連邦評議会はシュトゥルツェンエッガー銀行にある最重要書類の引渡しを禁止していた。1949年には、評議会が同行にある証拠書類を差し押さえた。GAF問題は在米スイス資産の返還要求について双務的に規定したワシントン協定 (Washington Agreement of 1946) の対象外であった。インターハンデルはシュミッツ家も動員してGAF資産を確保しようとした。1949年3月4日と12月21日、アメリカの検事長が所得税等(1929-1933年分)を求めて反訴した。両国は対立、インターハンデルの訴えは1953年と1956年に棄却された。1957年、合衆国最高裁判所はGAF資産が敵性資産であり、アメリカ政府の資産であると判断、審理を地区裁判所に差し戻した。同年、スイス連邦評議会は仲裁と和解を求める訴訟を提起するため国際司法裁判所に問い合わせた。1959年3月、国際司法裁判所は、米最高裁で最終判決が下るまでは応じられないと回答した[26]

1962年アルフレート・シェーファー (Alfred Schaefer) がスタニスワフ・ラジヴィウ公爵 (Stanisław Albrecht Radziwiłł) を雇い、公爵の(リー・ラジヴィルを介した)義兄弟ロバート・ケネディと接触させた[27]。シェーファーは1931年スイス・ユニオン銀行(現UBS)へ入社、1964年から1976年まで同行会長を務めるが、1957年から1967年までインターハンデルの重役でもあった[28]。1963年12月10日ケネディとシェーファーらインターハンデル重役が会談し、和解案に合意した[29]。1965年3月、政府保有のGAF株1116万6438株(93.3%)がブライス商会 (Blyth, Inc.) を主幹事とするコンソーシアムに売却された。売上金の分配は次のようになされた。まずアメリカ政府が接収前から保有していた11%分を当然に米政府のものとした。残り89%分をアメリカとインターハンデルの間で等分するが、先立ってインターハンデルが米政府へ税金・配当金として2400万ドルを支払っておくものとされた[30]

1967年、スイス・ユニオン銀行はインターハンデルを吸収合併した[31]。以降マルクの相場が上昇し、バイエル、ヘキスト、BASFの三社は急成長した。原動力の一例としてミューチュアル・ファンドが特筆される。1956年、投信管理会社 Deutsche Gesellshaft für Wertpapiersparen mbH が設立され、同年同社はコンセントラというミューチュアル・ファンドを立ち上げたが、保有銘柄はRWE, シーメンスダイムラー、BASF、ヘキスト、バイエル、ドイツ銀行、ドレスナー銀行といった国内大手産業であった[32]。1978年、ジョセフ・ボーキン (Joseph Borkin) が『IGファルベンの罪刑』(The Crime and Punishment of I.G. Farben) を出版したが、翌年ウォーターゲート事件について執筆中に他界した[33]。1982年10月、IGファルベン清算会社が株主保護のために株主協会を設立した。同年に清算会社はインターハンデルの資産を目的としてスイス・ユニオン銀行をフランクフルトの裁判所に提訴した[31]

1984年5月23日フランクフルト地方裁判所は、ドイツの主権を回復させた1954年10月23日の条約を根拠として、清算会社の請求を退けた。他の請求権についてもスイス法では時効であるとした。清算会社は時効を争って控訴したが、フランクフルト上級地方裁判所はそれを棄却した。裁判官は、「レース報告」の改訂版における脚色を認定しながらも、脚色依然の事実を示すであろう重要書類を証拠として採用しなかった。清算会社は最高裁へ上告した。最高裁は1954年条約が訴えの利益を否定できないとして、1986年11月17日に下級審へ差し戻した。1988年3月22日、フランクフルト上級裁判所は時効を理由に訴えを棄却した。IGファルベンとケミーの間における信託契約の痕跡が何も立証されなかったというのである。加えて判決文には、「ことによるとインターハンデルは、米国に負担をかけてGAF資産から不当な利益を得たことになる」とも書かれていた。12月20日、最高裁が上告を認めずに清算会社の請求を棄却した。2004年11月11日、清算会社は破産申請した[34]


  1. ^ a b c d 上林貞治郎「イーゲー・ロイナ工場史 -イーゲー・トラスト成立史をふくめて-」『経営史学』第2巻第2号、経営史学会、1967年、1-29頁、doi:10.5029/bhsj.2.2_1 
  2. ^ 八木、278頁
  3. ^ a b c 田村光彰 1997, pp. 55.
  4. ^ 清瀬一郎『特許法原理』中央書店、1922年「(1916年連合国が開いた)専門委員等ハ曽テ独逸ノ化学者カ仏国ニ於テ化学品ニ対スル特許ノ制限ナキニ乗シ、染料ニ使用スヘキ化学品ニ特許ヲ獲、同国産業ヲ苦メタル経験ニ鑑ミ、各国特許法ニ此制限ヲ置クヘキコトヲ薦メタリ」
  5. ^ a b c d e f 田村光彰 1997, pp. 56.
  6. ^ ロン・チャーナウ『ウォーバーグ ユダヤ財閥の興亡(上)』日本経済新聞社、1998年、p.414.
  7. ^ 大東英祐「企業間交渉の展開過程 I・G・ファルベンとスタンダード・オイルの十年間」経営史学 8(2), 26-58, 1973
  8. ^ 八木、275頁
  9. ^ a b c 田村光彰 1997, pp. 57.
  10. ^ 八木、275、277頁および284頁の関連年表(八木作成、年表は以下特に出典を示さない文でも活用)
  11. ^ Antony S. Sutton, "Wall Street and the Rise of Hitler", CLAIRVIEW BOOKS, 2010, p.43.
  12. ^ 八木、18-19頁
  13. ^ a b 八木、77頁
  14. ^ 八木、34-35頁
  15. ^ 八木、78-80頁
  16. ^ 八木、104-107頁
  17. ^ 八木、23頁
  18. ^ 八木、110-113頁
  19. ^ 八木、115-117頁
  20. ^ a b c d e 田村光彰 1997, pp. 58.
  21. ^ Klaus Trouet, S.36-41.
  22. ^ Klaus Trouet, S.39-40.
  23. ^ Klaus Trouet, S.45.
  24. ^ a b 前川恭一「戦後ドイツの工業独占企業の財務政策」同志社商学 14(6), 89-105, 中折2枚, 1963-04
  25. ^ 田村光彰 1997, pp. 58–59.
  26. ^ 八木、144-150頁
  27. ^ Business Week, No.2541, McGraw-Hill, 1978, saying "1962, when Alfred Schaefer, chairman of the Union Bank of Switzerland and head of Interhandel, hired Prince Radziwill to make contact with Radziwill's brother- in-law, Attorney General Robert F. Kennedy."
  28. ^ 八木、276頁
  29. ^ 八木、185頁と年表
  30. ^ 八木、185-186頁
  31. ^ a b 八木、年表
  32. ^ The Economist, vol.255, 1975, Economist Newspaper Limited, "Concentra - offering a participation In the German economy Concentra is a Mutual Fund (Unit Trust) investing in leading German shares, e. g. RWE, Siemens, Daimler Benz, BASF, Hoechst, Bayer, Deutsche Bank, Dresdner Bank"
  33. ^ The Washington Post, "Joseph Borkin, Antitrust Lawyer, Author Dies", July 6, 1979
  34. ^ 八木、190-192頁





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