観音原石仏群 観音原石仏群の概要

観音原石仏群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/24 23:22 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
観音原石仏群の中央に位置する弘法大師像
地図

概要

西国三十三所坂東三十三箇所秩父三十四箇所の観音霊場の石体が一同に全て揃う白馬村の指定石造文化財である。白馬村における観音信仰の深さと広がりを示す代表的な聖地で、北側に坂東33体、西側には弘法大師像を中心に西国33体、南側に秩父34体を配し、東側に馬頭観音など70余体、計187体の石仏が立ち並ぶ。石造物はそれぞれの霊場の本尊をかたどって彫られたもので、広い四角な芝原の周囲に並んでいる。石仏には一体ごとに施主名が刻まれている。

一説によれば、これらの石仏は高遠石工の手によるものと言われている[3][4]

所在地

白馬村大字北城字観音原12135番[5]千国街道は新田地区を過ぎると、昔罪人を斬殺したという伝説を持つ「首切り坂」に出る。そして西へ上り詰めて少しすると観音原に出る[要出典]

歴史

観音原石仏群は天保年間に開かれ、1080坪の芝生の四方に計187体の石仏が並び、その石仏を覆いかぶさるようにして松の木が植えられている。戦時中には畑として使用された。この石仏群は、もともと100体の観音が設置されていたが、その後、石仏の増設や移設により合計187体の石仏群となった[要出典]

現在、観音原石仏群は新田・切久保地区の住民によって維持管理されており、秋にはこの場所で地区住民の運動会も開催されている[6][7]1977年(昭和52年)6月1日、白馬村指定文化財に指定となる[2]

脚注

[ヘルプ]

参考文献

  • 『白馬の歩み:白馬村誌 第2巻 社会環境編 上』 「白馬の歩み」編纂委員会、白馬村、2000年
  • 宮田, 豊美 『観音原:塩の道の石仏』 宮田豊美、1982年
  • 『岩岳史跡案内』 白馬岩岳観光協会、2017年11月

座標: 北緯36度42分54.4秒 東経137度51分49.3秒 / 北緯36.715111度 東経137.863694度 / 36.715111; 137.863694


  1. ^ 長距離自然歩道を歩こう!中部北陸自然歩道-長野県”. 環境省. 2018年7月25日閲覧。
  2. ^ a b 白馬村指定文化財”. 白馬村役場ホームページ. 白馬村役場. 2018年7月14日閲覧。
  3. ^ 『楽楽 信州(2017年版)』 Jtbパブリッシング、2016年4月28日、156頁。ISBN 4533096093
  4. ^ るるぶ&more. 中部 長野県 白馬・大町・安曇野 白馬・八方 白馬岩岳 観音原”. るるぶ&more. 2018年7月14日閲覧。
  5. ^ 宮田 1982.
  6. ^ 白馬の歩み 2000, p. 432.
  7. ^ 白馬岩岳観光協会 2017, pp. 10-11.


「観音原石仏群」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「観音原石仏群」の関連用語

1
8% |||||

観音原石仏群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



観音原石仏群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの観音原石仏群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS