舞楽蒔絵硯箱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 01:45 UTC 版)
研究史
制作時期および製作者
本品に付属する桐製の外箱には宝暦期の書付があり、それによると東山時代の作だとされていて、本阿弥光悦の作だとはされていない[15]。書付には公儀御祝儀御招請[注釈 1]に用いたため今後の他用を禁ずる旨が記されているほか[18]、東山時代の作であることが強調されている[18]。大橋俊雄は、当時足利義政所用の硯箱は東山御物と呼ばれて高い評価を得ていたことを挙げて、本品も同様の理由から箔付けのために東山時代の作を名乗って老中招請に飾られたのではないかと推測している[16]。これ以降、本品および扇面鳥兜螺鈿蒔絵料紙箱、子日蒔絵棚の3点は江戸時代の間は書付のとおり東山蒔絵であるとする説が定着した[16]。その後、明治期に岸光景が光悦説を提唱すると、日本美術協会がこの説を支持[19]。子日蒔絵棚が1890年(明治23年)の美術展覧会に出品された際の論評で光悦説が公に提唱されると[20]、蒔絵棚と同作者とみられる料紙箱および本品も光悦作と考えられるようになる[19]。そして1912年(明治45年)の展覧会図録および新聞では光悦作として紹介されるに至った[20]。以降は東山説は誤りとされている[19]。
本阿弥光悦が製作に関与したとされる「光悦蒔絵」と呼ばれる一連の作品群のうち、史料によって光悦との関連づけが可能なのは花唐草螺鈿経箱のみであり、ほかは技法的特徴および伝承に基づいている[15]。本品は意匠、技法に親近性があることから光悦蒔絵のひとつとされており、光悦が製作に関わった可能性も1999年時点では否定はされていない[15]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “e国宝 - 舞楽蒔絵硯箱”. emuseum.nich.go.jp. 2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c “舞楽螺鈿蒔絵硯箱 - 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 内田 2011, p. 317.
- ^ a b c d 荒川 1973, p. 6.
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- ^ 内田 2011, p. 148.
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- ^ 荒川 1973, p. 7.
- ^ 内田 2011, p. 69.
- ^ 荒川 1973, p. 10.
- ^ 荒川 1973, pp. 10–11.
- ^ 荒川 1973, p. 4.
- ^ a b c d 東京国立博物館 2005, p. 2.
- ^ a b c d 大橋 1999, p. 74.
- ^ a b c 大橋 1999, p. 76.
- ^ “舞楽螺鈿蒔絵硯箱 - 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c 大橋 1999, p. 75.
- ^ a b c 大橋 1999, p. 78.
- ^ a b 大橋 1999, p. 77.
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