第一次ディープボトムの戦い 戦いの後

第一次ディープボトムの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:42 UTC 版)

戦いの後

7月28日午後までに、ハンコックは妨害なくディープボトムの渡河地点まで戻れるように、その師団の再配置を行った。それ以上の戦闘は起こらず、リッチモンドと鉄道に対する攻撃は中止された。グラントはこの作戦でかなりの勢力の南軍部隊を前線から動かさせたことに満足し、7月30日のクレーターの攻撃を決行することを決めた。その夜ハンコックの軍団からモットの師団をピーターズバーグの塹壕に送るよう命令し、それで第18軍団が攻撃を支援できる陣地に就くことができた。第2軍団の残り師団と騎兵隊は7月29日にジェームズ川を渡って戻った[9]

第一次ディープボトムの戦いで、北軍の損失は総計488名(戦死62名、負傷340名、不明/捕虜86名)だった。南軍の損失は総計679名(戦死80名、負傷391名、不明/捕虜208名)[1]だった。同年8月13日から30日に、基本的に同じ地域で第二次ディープボトムの戦いが起こった。

参考文献

外部リンク

座標: 北緯37度26分09秒 西経77度15分39秒 / 北緯37.4359度 西経77.2609度 / 37.4359; -77.2609


  1. ^ a b c Bonekemper, p. 314. The author presents casualty figures from a wide variety of sources and provides his best estimate. Salmon, p. 418, estimates 488 Union, 650 Confederate. Horn, p. 108, estimates 488 Union, 700 Confederate. Kennedy, p. 355, estimates 1,000 total.
  2. ^ Salmon, p. 416; Davis, p. 69.
  3. ^ Grant, chap. LVII, p. 17.
  4. ^ Davis, 69-70; Salmon, p. 416; Horn, p. 102.
  5. ^ Salmon, p. 416; Horn, p. 103.
  6. ^ Horn, p. 103; Salmon, pp. 417-18.
  7. ^ Horn, p. 107.
  8. ^ Davis, p. 70; Salmon, p. 418; Horn, pp. 107-08.
  9. ^ Horn, p. 108.


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