河口善之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 00:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動経歴
甲斐国都留郡、のちの谷村[1](山梨県[2]南都留郡谷村[3][4]、谷村町[5]を経て現都留市)で、豪農[1]・河口善兵衛の長男として生まれる[6][7]。和漢学、数学を修めた[2][3][5]。1877年(明治10年)1月、家督を相続し[6][7]農業を営む[2]。
1882年(明治15年)7月、巌村(現上野原市)の古家広泰らの鶴北自由党(のち峡中立憲党)に入党し自由民権運動に加わった[1]。谷村長、谷村町長、南都留郡会議員、同参事会員、所得税調査員を務めた[1][2][3][4][5]。1888年(明治21年)山梨県会議員に選出された[1][2][3][4][5]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で山梨県第2区から自由党所属で出馬して初当選し[1][5][8]、同年8月の第6回総選挙(山梨県第2区、憲政党)でも再選され[5][8]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、請願委員などを務めた[5]。
実業界では、甲斐絹業組合長、有信貯金銀行取締役、山梨農工銀行取締役、山梨貯蓄銀行監査役、富士馬車鉄道(富士急行線)社長、谷村電燈取締役、桂川電力取締役などを務めた[2][3][5][6][7]。
参考文献
- 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 川手秀一編『甲州古今人物辞書』山梨協会本部、1938年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 山梨日日新聞社編『山梨百科事典 創刊120周年記念版』山梨日日新聞社、1992年。
- 1 河口善之助とは
- 2 河口善之助の概要
- 河口善之助のページへのリンク