正林寺 (京都市) 歴史

正林寺 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/02 01:13 UTC 版)

歴史

ここには、もとは平重盛の別邸で、後に九条兼実の山荘となっていた。建仁2年(1202年)正月、ここで法然を戒師として兼実が出家した。元久2年(1205年)8月、法然が瘧(おこり)をわずらい、その時聖覚が修法を施したという。建永2年(1207年)3月、四国に流罪の時も当御房から出発した。応仁の乱で、ここは灰燼に帰した。義山が復興に努め、弟子の恵空が遺志をつぎ、真盛辻子にあった正林寺を移した。享保20年(1735年)九条家より河原殿の建物が移築され、大師堂・方丈などになった。

寺宝

  • 法然像 - 讃岐の人に与えられたものが、後日ここに移されたという。
  • 兼実像 - 九条家安置の像であった。
  • 弁長像 - 「選択集」を弁長が授かった。

第十四番御詠歌

「千年経る小松のもとをすみかにて 無量寿仏の迎えをぞ待つ」

脚注

参考

  • 「小松谷御房略縁起」



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