和田信二郎 和田信二郎の概要

和田信二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 09:24 UTC 版)

若狭国小浜藩士・和田義比の次男。弟は和田光石。父の弟は和田維四郎、その子で従弟に推理作家の大坪砂男がいる。妹の夫は正木直彦和田謹吾は五男。1891年東京英語学校、国語伝習所卒。1895年國學院卒。芳賀矢一に師事。奈良県立第一中学校(現奈良県立郡山高等学校)に赴任、のち津に移り、古事類苑編纂部に勤める。1903年文部省に入り、中学校高等学校教科書編纂官。1943年退任。[1]

著編書

  • 『皇室要典』編 光風館書店 1912
  • 『君が代と万歳』光風館書店 1932
  • 『贈正四位杉田玄白先生事蹟』栄閑院 1937
  • 『皇国の姿』目黒書店 1937
  • 中川淳庵先生』立命館出版部 1941 のち大空社
  • 『山口菅山先生小伝』山口菅山先生九十年記念会 1943
  • 『巧智文学』明治書院 1950
  • 『君が代と萬歳 新版』ミュージアム図書編集部 編 ミュージアム図書 1998

校訂書

出典


  1. ^ 和田謹吾『回想遠きにありて』


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