全日本モーターサイクルクラブ連盟 全日本モーターサイクルクラブ連盟の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 全日本モーターサイクルクラブ連盟の解説 > 全日本モーターサイクルクラブ連盟の概要 

全日本モーターサイクルクラブ連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/02 02:05 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

概要

MCFAJは1958年に発足し、同年8月に第1回全日本クラブマンレースを主催(会場は浅間高原自動車テストコース)。これはアマチュア選手(クラブマン)を主体にした全国レベルのレースという意味で、日本初だったと言われている。またいわゆる浅間火山レースとは一線を画す内容だと言われている。[1]

以後、MCFAJは日本で行われるアマチュア(クラブマン)によるオートバイレースの主催を行っている[2]

2輪雑誌『モーターサイクリスト』の発行元だったモーターサイクル出版社(現・八重洲出版)が創立に深く関わっており、当時同社社長だった酒井文人が初代理事長を務めた[3]

MCFAJと並立する形で、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の下部組織である日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)が存在する(MFJの発足はMCFAJの3年後の1961年)。MFJを正統とする見方も存在する一方、メーカーや監督官庁ではなくレース出場者(および引退した出場者や関係者)が運営の主体である点で、MCFAJこそ正統という意見も存在する[4]

MCFAJとMFJの両方で活動していた選手も数多く存在する。MCFAJが主催していたサイドカーレースの出身者のうち、熊野正人ロードレース世界選手権(WGP)に参戦していた[5]

参考文献

関連項目

外部リンク


[ヘルプ]
  1. ^ 浅間火山レースはメーカーの対抗戦なのに対し、全日本クラブマンレースはアマチュアライダーの対抗戦。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2003年10月号。「浅間から世界GPへの道」、八重洲出版。
  2. ^ 全日本モーターサイクル連盟の概要 (pdf)”. 2011年8月27日閲覧。
  3. ^ 「浅間からスズカまで」酒井文人著、八重洲出版、1990年。「浅間から世界GPへの道」、八重洲出版。
  4. ^ 『浅間から世界GPへの道』(p27)より。
  5. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p198 - p204)より


「全日本モーターサイクルクラブ連盟」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「全日本モーターサイクルクラブ連盟」の関連用語

全日本モーターサイクルクラブ連盟のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



全日本モーターサイクルクラブ連盟のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの全日本モーターサイクルクラブ連盟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS