伊藤宗印 (2代) 詰将棋

伊藤宗印 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 03:05 UTC 版)

詰将棋

詰将棋では献上図式である『象戯図式』(俗称:将棋勇略)の他に『将棋精妙』(全て不成を含む作品で、「成らず百番」の異名がある)、がある。

前者は一部が添田宗太夫の作ではないかという指摘がある。添田は当時の有力棋客の一人で詰将棋に優れた曲詰集である『象戯秘曲集』の他、1753年宝暦3年)に開板した『象戯洗濯作物集』がある。なお、添田が伊藤家の門下で、宗印との競作部分が存在したのではないかという指摘がある。

後者は没後135年の安政5年に開板されており、序を付した八代伊藤宗印は「生涯に2百番の作図を残した人物は稀である」と称えているが、宗印のオリジナルかどうか疑問も持たれている。また、巻末の第99番と第100番は、玉方に妙手があって不詰となる「逃れ図」という趣向を持っている。

参考文献

  • 加藤治郎『日本将棋大系 第3巻 五代大橋宗桂・宗銀=印達』(筑摩書房、1978年)
    • 山本享介「人とその時代三(五代大橋宗桂・大橋宗銀・伊藤印達)」(同書253頁所収)
  • 花村元司『日本将棋大系 第4巻 二代伊藤宗印・三代大橋宗与』(筑摩書房、1978年)
    • 山本享介「人とその時代四(二代伊藤宗印・三代大橋宗与)」(同書247頁所収)
  • 森雞二『日本将棋大系別巻1 図式集 上』(筑摩書房、1979年)
    • 山本享介「図式集 上 人と作品」(同書241頁所収)
  • 東公平『甦る江戸将棋 第12回』(『近代将棋』2005年10月号80頁)、『甦る江戸将棋 第13回』(『近代将棋』2005年11月号78頁)
  • 茶屋軒三・西條耕一「江戸の名人」(『将棋世界』2011年6月号154-158頁、および2011年7月号150-154頁所収の回を主に参照)

脚注

注釈


  1. ^ 従来、生年が明らかでなかったため、子供の年齢などを基に推定して寛文10年(1670年)から寛文14年(1674年)頃の生まれではないかと推定されてきたが(たとえば、将棋勇略伊藤家の紹介など)、近年の墓碑と過去帳の調査から享年が69(数え年)、すなわち1655年生まれであることが判明した。
  2. ^ 五代大橋宗桂の年代不明の棋譜に、鶴田万三郎という人物との角落戦が残っており、万三郎が幻庵の幼名だと推定されることもある。


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