仮面舞踏会 (ヴェルディ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 02:32 UTC 版)
原作と台本
上記の通り、このオペラの原作はスクリーブによる戯曲、台本はソンマ執筆による。スクリーブは1833年作曲のオーベール版のために自ら戯曲をオペラ台本化しているため、ヴェルディが改めてオペラ化する際にも、スクリーブによる台本をそのまま用いる手法もありえたが、ヴェルディは結局わざわざソンマにスクリーブの戯曲を再構成しての台本化を依頼している。
「仮面舞踏会」に描かれたリッカルドとアメーリアの道ならぬ恋、またアメーリアの夫レナートはリッカルドに最も忠実な側近であるとの設定は共にもともと史実ではなく、スクリーブの完全な創作になる脚色である。また、グスタフ3世がウルリカ・アルヴィドソンから暗殺について警告を受けたのは事実とされているが、その警告は暗殺の数年前のことであった。スクリーブはその逸話を暗殺直前の時期にずらして取り入れることで物語の緊迫感を高めている。これら作中のスクリーブによる脚色については、史実でない以上、別の描き方をヴェルディとソンマで検討することも可能であったと思われるが、おそらくヴェルディはあえてこれらの脚色をそのままにしていることから、彼がスクリーブの筆力を評価していたことはほぼ確実である(ヴェルディは1854年の「シチリアの晩鐘 」作曲の際にスクリーブの台本に作曲する共同作業も経験している)。
ヴェルディがもともとスクリーブの戯曲から強い印象を受けていたのは、「国王という公的な地位にある人間の、それ故にこそ一層劇的な形の矛盾となって迫る友情と信頼と恋の相克の悲劇」[2]という内容だったとの指摘もあり、この点を考えるなら上記の脚色についてヴェルディが改変を求めなかったのも頷ける。そのようにヴェルディがスクリーブの戯曲から感銘を受けていたにもかかわらず、ソンマにあえて台本の再構成を依頼したのは、オーベール版を超えるための布石であったと考えられる。既にオペラ化された題材を再びオペラ化すること自体はそれ以前からごく一般的に行われていたことであったが、作曲家としてあえて先行作品のあるものに取り組む以上、先行作を上回るものに仕上げたいと考えるであろうことは想像に難くなく、ヴェルディも作曲を思い立った時、同じ台本を用いるより(いつものように台本作成に細かく目を注いで)戯曲の本質を損なわずに再構成することで、より自分の音楽的意図に沿った台本を得て、総合的にオーベール版より上質の作品を作りあげたいと意図していたと思われる。
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- ^ 全曲盤CD解説「ドラマの史実とその特質」(執筆:高崎保男)より
- 仮面舞踏会 (ヴェルディ)のページへのリンク