ロシア国立総軍事病院 沿革

ロシア国立総軍事病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 03:03 UTC 版)

沿革

1706年5月25日(新暦6月5日)皇帝ピョートル1世の命によりレフォルトヴォ地区で創設され、ロシア最初の国立医療機関となった。創設時の名称は「軍事病院«Военная Гошпиталь»」である。病院(およびロシア最初の医学校)の創立者はピョートル1世の主治医でもあったオランダ人医師ニコラース・ビドローである。 1707年11月21日(12月2日)に最初の患者を受入れた。1721年、病院は火事で焼失したが1727年に再開(再建)した[2]

19世紀初頭。フョードル・アレクセーエフロシア語版

今日まで残る病院本館は1798-1802年に建築家イヴァン・エゴートフロシア語版の設計により建設された。病院では祖国戦争時には1万7千人以上、日露戦争では5万5千人以上、第一次世界大戦時には約40万人の傷病兵を受入れた。第二次世界大戦中、病院は活発な活動を続け、「モスクワ共産主義者軍事病院393号」と名付けられた。病院では200年でおよそ400万人が治療を受けた。1946年、病院名に「アカデミー会員エヌ・エヌ・ブルジェーンコロシア語版」が冠された。1968年に労働赤旗勲章、1982年にレーニン勲章が授与されている。

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