ラムラの戦い (1101年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 14:47 UTC 版)
ファーティマ朝の軍勢
この頃のファーティマ朝の軍勢は、スーダン人の弓兵とアラブ人・ベルベル人の騎馬隊によって構成されていた。この戦いの際、弓兵は歩兵であった上に騎馬隊はランスと剣を装備した状態で攻撃命令が下されるまで待機していたため、十字軍重装騎兵の格好の的となった。また1105年のラムラでの戦闘の際を除いて、トルコ人の軍人トグテキンはファーティマ朝に対してテュルク騎兵を援軍に派遣していたものの、ファーティマ朝はその援兵を作戦に投入することはなかったという。
また、十字軍はテュルク騎兵の戦術や戦闘能力を王国の脅威になりうる存在であると十分認識していたものの、ファーティマ朝のエジプト軍に関しては脅威になりうる存在とは全く認識していなかったという。ファーティマ朝に対する過信により、翌年のラムラでの戦いでは十字軍はエジプト軍に大敗を喫することになったものの、それ以上の頻度でファーティマ軍は十字軍に繰り返し敗れ去っていたからだ。「フランク人は、サラディンが台頭し始める頃まで、シリアやメソポタミアのムスリム兵と同程度にエジプト兵を恐れることは決してなかった」のだった[6]。
参考文献
- Brett, Michael (2019). “The battles of Ramla, 1099–1105”. The Fatimids and Egypt. London and New York: Taylor & Francis. pp. 207–228. ISBN 978-1-138-35482-1
- The Encyclopedia of Military History. New York: Harper & Row. (1977). ISBN 0-06-011139-9
- Smail, R. C. (1995). Crusading Warfare, 1097–1193. New York: Barnes & Noble Books. ISBN 1-56619-769-4
- Stevenson, W (1907). The Crusaders in the East: a brief history of the wars of Islam with the Latins in Syria during the twelfth and thirteenth centuries. Cambridge University Press
- Verbruggen, J.F. (1997). De Krijgskunst in West-Europa in de Middeleeuwen, IXe tot begin XIVe eeuw [The Art of Warfare in Western Europe During the Middle Ages: From the Eighth Century to 1340] (2nd ed.). Suffolk: Boydell Press. ISBN 0-85115-630-4
座標: 北緯31度55分29.26秒 東経34度52分21.75秒 / 北緯31.9247944度 東経34.8727083度
- ^ Dupuy, p. 316
- ^ a b c d e Verbruggen 1997, p. 10.
- ^ Stevenson 1907, p. 44.
- ^ a b Stevenson 1907, p. 39.
- ^ a b c d Thomas Asbridge (19 January 2012). The Crusades: The War for the Holy Land. Simon & Schuster. ISBN 978-1-84983-688-3
- ^ Smail 1995, p. 87.
- 1 ラムラの戦い (1101年)とは
- 2 ラムラの戦い (1101年)の概要
- 3 ファーティマ朝の軍勢
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