ミハイル・コンスタンチノヴィチ (ヴィテプスク公) ミハイル・コンスタンチノヴィチ (ヴィテプスク公)の概要

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ミハイル・コンスタンチノヴィチ (ヴィテプスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 09:50 UTC 版)

ミハイルは13世紀の第三四半期からヴィテプスク公位にあった[1]。なお、1280年代にはヴィテプスク公国スモレンスク公国に接収されており、スモレンスク公フョードル(ru)ナメストニクを派遣してヴィテプスク公領を統治していた。

ミハイルによる統治に関しては、リガのマギストラト(ru)ラテン語: Magistratusより)[注 1]からの陳情書から推測される。マギストラトを通して、ドイツ人商人たちは、ヴィテプスク公の発した取引制限や、重量基準の変更などに反対の意志を示していた[3][4]。また陳情書の中では、リガのドイツ人に対する圧迫や侮辱、強奪などについても述べられている。そのうえ、ミハイルの父コンスタンチンの統治期には、これらの問題は起きなかったとも指摘されている。

なお、陳情書は、この時期のヴィテプスク公国の歴史を知る唯一の史料でもある。また、当時のヴィテプスク(ヴィーツェプスク)の聖マルコ修道院[注 2]も言及されている[5]

ミハイルの父コンスタンチンは詳細の不確定な人物であり、人物同定に諸説ある。もし父コンスタンチンがスモレンスク公国分領公コンスタンチンと同一であるならば、ミハイルにはユーリーという兄弟がいたことになる[6]

脚注

注釈

出典

参考文献

  • Акты, относящиеся к истории Южной и Западной России (1361—1598), т. 1, под ред. Н. И. Костомарова. ― СПб., 1863.
  • Александров Д. Н. Полицентризм объединительных тенденций в Южной, Юго-Западной, Юго-Восточной и Западной Руси, XIII ― XIV вв. ― Диссертация. М., 2001. С. 400

  1. ^ 「マギストラト」(ロシア語: Магистрат)は複数の地域・時代の役職を指す。そのうち、ドイツに関しては市長、市当局、市参事会などを指す[2]
  2. ^ 「ヴィテプスク聖マルコ修道院」はロシア語: Витебский Свято-Марков монастырьの直訳による。現名称:ベラルーシ語: Свята-Троіцкі Маркаў манастыр
  1. ^ Лявон Калядзінскі. Міхаіл Канстанцінавіч // Энціклапедыя гісторыі Беларусі. — Мн., 1999. — Т. 5. — С. 213.
  2. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年。p434
  3. ^ Муравская Е. Торговые связи Риги с Полоцком, Витебском и Смоленском в XIII—XIV вв. // Известия Академии наук Латвийской ССР. — Рига, 1961. — № 2(163). — С. 31.
  4. ^ Левко. О. Н. Торговые связи Витебска в X—XVIII вв. / Под ред. Г. В. Штыхова. — Мн.: Наука и техника, 1989. — 87 с.
  5. ^ Грамота Рижан к витебскому князю Михаилу Константиновичу // Известия Академии наук по Отделению русского языка и словесности. — СПб., 1861-1863. — Т. X. — С. Стб. 633—636.
  6. ^ Варонін В. В. Канстанцін Бязрукі // Вялікае Княства Літоўскае. Энцыклапедыя у 3 т.. — Мн.: Беларуская Энцыклапедыя імя П. Броўкі, 2005. — Т. 2. — С. 32.


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