ブルー・マーダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 08:57 UTC 版)
歴史
バンド結成
ホワイトスネイクに在籍していたジョン・サイクスを中心に、同じく元ホワイトスネイクのコージー・パウエル、元オジー・オズボーンバンドのフィル・スーザンというラインナップで始動。結成初期にフィル・スーザンが脱退、後任として元ザ・ファームのトニー・フランクリンが加入。ボーカルとして当初トニー・マーティンが参加するもブラック・サバスへ加入してしまったため、代わりにレイ・ギランが加入。4人体制で曲作りやデモ作りを行うが、今度はギランがマネージメントの意向により解雇。その後キング・コブラのマーク・フリー、トライアンフのリック・エメットと二転三転するが、パウエルがそのやり方に疑念を抱き、後任のボーカルが見つからないこともあってバンドに業を煮やし脱退してしまう。結局ボーカルはサイクス自身が取り、後任ドラマーとしてカーマイン・アピスが加入。ここにサイクス+フランクリン+アピスのトリオ編成が確定する。
デビューから解散まで
こうしてバンドは1989年にアルバム『ブルー・マーダー』でデビューを飾る。リーダーであるサイクスは、800万枚を売り上げ、×8プラチナムとなったアルバム『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』の立役者であり、そのサウンドを継ぐアルバムとしてレコード会社は多大な期待を寄せた。しかしツアーは盛況であったものの、アルバムは期待に程遠い売り上げとなってしまう(米69位、英45位)。なお、初来日公演では、ホワイトスネイクの「スティル・オブ・ザ・ナイト」、ザ・ファームの「クローサー」、ロッド・スチュワートの「ホット・レッグス」といった、メンバー3人が過去に関わってきた曲も演奏された。
ツアー後、次作へ向けてレコーディングを行うが、いつまでもアルバムは完成せず、バンドに限界を感じたアピスとフランクリンは1992年に脱退。新たにマルコ・メンドーサ、トミー・オスティーンが加入する(一時期アンダース・ヨハンソンもいたという。さらにボーカル/サイドギターとしてケリー・キーリングの名も一時連なっていた)。そしてアルバム『ナッシング・バット・トラブル』を発売。しかし日本でオリコン6位まで上昇した他は大きなリアクションもなく、イギリスでの短いプロモーションと日本でのライブをもってバンドを解散させる。その後はメンバーはそのままにサイクスのソロ・プロジェクト『サイクス』へ移行していった。
解散後の動き
2004年初頭、ブルー・マーダー来日公演がアナウンスされ、オリジナル・ラインナップでの再結成実現がにわかに期待された。しかしメンバー自身がブルー・マーダー名義であることを知らされておらず、単なるツアー成功のための仕込みであったことが判明する。実際のショーの内容もブルー・マーダーに捕らわれずにジョン・サイクスの歴史を振り返る集大成的なものになった。なお、この模様はジョン・サイクス名義でライブ・アルバム『バッド・ボーイズ・ライヴ!』として発表された。
2007年2月11日のニューヨークのラジオ番組でエディ・トランクが「ブルー・マーダーがオリジナルメンバーでの再結成に向けて動き出している。」と語ったことから再結成話が再燃したが、メンバーは明らかに別スケジュールで動いており実現する様子はない。
ブルーマーダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 07:26 UTC 版)
『ブルーマーダー』は、誉田哲也の警察小説。姫川玲子シリーズ第6作。
- ^ “ブルーマーダー 誉田哲也|フィクション、文芸”. 光文社. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “ブルーマーダー 誉田哲也|光文社文庫”. 光文社. 2024年5月17日閲覧。
- ^ “要潤が仮面の男“ブルーマーダー”役で「ストロベリーナイト・サーガ」出演”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2019年6月5日) 2024年5月17日閲覧。
- ^ a b audiobook.jp [@audiobook_jp] (2023年1月2日). "2023年1月2日 15:00のツイート". X(旧Twitter)より2024年5月17日閲覧。
- 1 ブルーマーダーとは
- 2 ブルーマーダーの概要
- 3 ストーリー
- 4 登場人物
- 5 テレビドラマ
固有名詞の分類
- ブルー・マーダーのページへのリンク