フォーミュラ・トラック
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歴史
サントス出身のトラック運転手アウレリオ・バチスタ・フェリックス(Aurélio Batista Félix )とポルトガル人ジャーナリストのフランシスコ・サントス(Francisco Santos)によって、1987年9月6日にパラナ州のカスカヴェウ・サーキットで“"I Copa Brasil de Caminhões”(第1回ブラジル・トラック杯)として初開催された。このレースには35名のドライバーが出場したが、レース中に死者1名を出す死亡事故が起きたことから、その後の開催が不可能となった。
事故から3年後にフランシスコ・サントスが計画から去り、残されたアウレリオ・バチスタ・フェリックスは、レースを再度開催させるべく、レース用トラックを自主製作しインテルラゴス・サーキットで内覧のための試走を行うなど、地道な活動を数年にわたって続けた。
その後、バチスタはトラック・オーナー/ドライバー協会(ANPPC, Associação Nacional dos Proprietários e Pilotos de Caminhão)を設立するなど、下準備を重ね、1995年4月23日に、かつて初開催を行ったカスカヴェウ・サーキットにて、トラックレースの再開催にこぎつけ、このレースは7台のトラックで争われた。この開催に向け最も重要視されたことは、絶対的な安全性だった。
この再開以降、「フォーミュラ・トラック」の名称が用いられるようになり、この年は同じくパラナ州のロンドリーナ、リオグランデ・ド・スル州のタルマ、ゴイアス州のゴイアニアにおいてもレースを開催し、参加台数は最終的に13台にまで増え、観客動員も2万人を記録(主催者発表)するなど、成功裏にこの年を終えた。
これらレースの成功により、ブラジル国内のレース管理団体で、当初トラックレースを非公認としていたブラジル自動車連盟(CBA, Confederação Brasileira de Automobilismo)からも選手権として公認され、翌1996年からフォーミュラ・トラックは公式の国内選手権として開催されるようになった。
- ^ フォルクスワーゲングループのブラジルにおける商用車(トラック・バス)部門(Volkswagen Trucks and Buses ※2000年以降はフォルクスワーゲン・ド・ブラジルとは別組織)は、2008年にMANに買収され傘下となったため、2009年以降はマニュファクチャラーとしてのエントリー名は「Man Latin America」としている。車両は「フォルクスワーゲン」ブランドのものを引き続き使用している。
- ^ 南米選手権では2013年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得している。
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