ハフマン島 ハフマン条約

ハフマン島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 03:19 UTC 版)

ハフマン条約

第1次ハフマン紛争中にOCUとUSN間で締結された条約。

OCU、USN二大大国による紛争を全面戦争とすることを避け局地紛争にとどめることと、核・生物化学兵器などの非人道的兵器の使用を禁止することを目的として2071年モスクワで締結された。また、南部にあるロングリバース島は希少な海鳥が生息しているため恒平和調停機構(PMO)によって国際保護区域に指定され、居住と戦闘行為が全面禁止された。

条約締結の背景には、この時期世界的に広がっていた核軍縮の風潮を受けてのものや、また紛争で不利な状況となり追い詰められたUSNが最終手段に訴えることを懸念したものがあった。

条約の一部

島内に存在する自然環境は、環境破壊が進む近年にとって貴重な財産である。よって、紛争では重大な環境汚染のある兵器の使用を、全面禁止することをここに宣言する。

第2次ハフマン紛争

Second Huffman dispute

ラーカス事件

2090年6月3日、OCU軍がUSN領ハフマン島ラーカス地区の軍需工場を破壊したとされる事件。

USN領ラーカス地区に存在したサカタインダストリィの軍需工場に対し、極秘偵察を行っていたOCU陸防軍機動部第17特殊偵察小隊所属のヴァンツァー4機がUSNニルバーナ機関所属第212独立部隊のヴァンツァー5機と戦闘の結果、工場が爆発炎上する惨事となった。

USNはこの事件を「OCU軍のヴァンツァー4機の襲撃により、工場が破壊され62名が死亡」と発表。一方OCUは襲撃の事実を否認、全てはUSNの狂言であると反論した。その後、和解の動きは進展せず、翌日6月4日、第2次ハフマン紛争が勃発。

この事件以前にも地区内の別の工場にて、内部偵察を目的とした傭兵部隊と工場を警護していたUSN所属機と思われる部隊の小規模な戦闘が発生している。傭兵部隊は工場内部の偵察に成功しているが、入手した内部の映像データが公表されることはなかった。

フリーダム侵攻作戦

2090年6月4日、開戦直後にUSN軍はOCU領フリーダムへの侵攻を開始。

フォートモーナス、ソレイトの陸軍勢力をメール河国境付近に展開。両軍の膠着状態と同時進行でフリーダム付近のレーダー施設およびロクスタ砂漠の対空戦力を殲滅後、ルーピディスからの空挺部隊による降下強襲を開始。この強襲によりOCU防衛ラインは一気に崩れ、OCU軍は都市部での籠城戦を開始。USN軍は第64機動戦隊を中心に市庁舎への強行突破を敢行。いち早く市庁舎および市長を確保したことにより、USN軍は当初の投入戦力よりも少ない兵力でフリーダム市を制圧した(同年6月10日)。

この電撃作戦により戦局はUSN側へと大きく傾いたかに見えたが、その後USN側の攻勢はなく、ロクスタ砂漠を挟んでの両軍のにらみ合いは1ヶ月に渡って続いた。

ラークバレー壊滅

2090年6月21日、フリーダム近郊のベッドタウンであったラークバレーがUSN側の巡航ミサイルにより壊滅。住民のほぼ全てが犠牲となった。この攻撃に対しOCU側は予告無しの攻撃としてUSN側を激しく非難。USN側はOCU軍の補給基地を目標とした正当な攻撃とした。

この攻撃に関する背景はサカタインダストリィ事件(後述)を参照。

フリーダム奪回

USN軍によるフリーダム占拠後、両軍はお互い大きな動きを見せず、膠着状態は1年余り続いた。

しかし、OCU軍はその一方でフリーダム奪回に向けての作戦を水面下で実行しつつあった。メナサ、グレイロックの陸軍勢力をフリーダム防衛線に結集。前線の膠着状態を維持しつつ、工作部隊によって対空戦力を破壊し、同時にバリンデンからの爆撃機による空爆でUSN軍の防衛戦力を殲滅。防衛ラインを一気に押し上げる作戦であった。この作戦は前年のUSN軍によるフリーダム侵攻作戦を陸軍メインに置き換えた作戦であったが、これらを実行するための工作活動を新しく編成した傭兵部隊「キャニオンクロウ」に一任することで、USN側の陽動に成功。作戦準備は直前までUSN軍に察知されずに行われた。

USN軍は第64機動戦隊を最終防衛ラインとして前線に展開。市内ではブラックハウンドや陸軍第334大隊が防衛に当たった。しかし、「キャニオンクロウ」によって第64機動戦隊が全滅すると防衛ラインは崩壊し、OCU軍の市内への侵攻を許すことになった。市内の防衛部隊は爆発物を駆使したトラップ戦術で防衛を行うが、巻き返しには至らず、即日フリーダムより全軍撤退。2091年8月1日、フリーダム市は再度OCU軍が制圧した。

鷹の涙作戦

Eagle Tears

OCU側の反攻作戦を受けフリーダムを奪還されたUSN側は進軍を食い止めるためにメール河からペセタにかけて防衛ラインを設定。それに対しOCU軍は陽動をペセタに対し行い、手薄となったベルチカを奇襲。ベルチカを陥落させたOCU軍はフォートモーナス、首都ルーピディスへの直接攻撃、ひいては一挙に完全勝利を実現するため「鷹の涙作戦」を実行する。

USN軍はモーガン要塞からの砲撃を要として、フォートモーナスの堅守を決定。時間稼ぎの間に海軍をはじめとした本国からの増援を待つこととなったが、「キャニオンクロウ」による早々の要塞陥落を受け、一気に市街地での乱戦となる。フォートモーナスでの両国の戦闘が繰り広げられる中、2091年8月9日16時、PMOの介入により両国の間で停戦合意がなされ紛争は終結した。

戦後

O.C.U.、U.S.N.両軍は恒平和調停機構の下、平和調停軍として治安維持に当たることとなった。この際、戦中より活動していたテロ組織ハフマンの魂が注目された。同組織はE.C.からの援助が確認されている。








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