ゲームカタログII 概要

ゲームカタログII

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 18:12 UTC 版)

概要

アスキー(当時)のテレビゲーム情報誌『ファミコン通信(現:ファミ通)』が監修していた番組の1つで、毎回テーマを設けてはその内容に沿ったゲームや関係者などを紹介していた。コンシューマーゲームだけでなく、当時はまだ馴染みの薄かったPCゲームも紹介するなど、当時放送されていた子供向けのゲーム番組とはまた違う本格的な内容の番組だった。番組は途中、『ファミ通』で連載の「クロスレビュー」をそのまま放送するコーナーも設けていた。番組のラストでは、前日に発売された『ファミ通』のランキングを紹介していた。基本的には深夜番組として放送されていたが、土曜朝の時間帯に放送されていた時期もある。番組表上では「ゲームII」「ゲームカタログ」あるいは単に「ゲーム」とだけ表記されていた。

ファミ通ゲームカタログ

1994年4月、木曜日深夜枠で『ファミ通ゲームカタログ』というタイトルでスタート。司会は今田耕司東野幸治が抜擢された。しかし彼らは特にゲームに詳しいというわけでもなく、わりと淡々と番組に参加しており、あまりやる気が見られない場面も数多く見られた。後に放送当初は小さな会議室での番組収録で驚きの連続であったと番組中に度々語っていた。また二人は当時、同じ木曜深夜帯にTBSで放送されていた『ダウンタウン汁』にもレギュラー出演しており、さらに放送時間帯も一部であるが重なっていたため、浜田雅功に「お前ら、深夜のゲームの番組なんや?」「俺らにバレへんと思ってたんか?」とツッコまれる場面があり、またフジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』の「ザ・対決」のコーナーオープニングのトークでも松本人志に「わけのわからんファミコン番組やめや。顔が素やで、あん時」とアドリブで突然話題に出され、今田はつい素で「吉本のゲーム業界進出のために人柱になっている」と必死に返す場面があった。 番組最終回で東野が「この番組が終わって何か思い出はありますか?」とチャイルド秋絵へ聞いたところ「ケーキが食べれる・・一応ダイエットしてたから」と、体型維持の努力をしていた事を吐露したところに今田が「第一回放送から比べたら肥えたぞ!!初めは本当にチャイルドみたいだったのに!」と言う会話がなされるほど最終回としては余韻の無い雑な終わり方で締められた。

ゲームカタログII

1994年10月、番組名が『ゲームカタログII』に改題され、放送枠も深夜帯から朝6時に移動となった。今田・東野は1995年3月をもって降板し、同年4月からは替わって伊集院光が司会を務めるようになる。伊集院は芸能界きってゲーム好きであり、放送内容も通常のスタジオ収録のみならずロケも数多く行われ、取り上げられる内容もゲーム界全体の幅広いテーマが扱われるようになった。1996年4月より放送時間が深夜帯に再び移動となると同時に企画構成も伊集院が自ら担当し始め、以降伊集院は番組が終了するまで司会・企画構成を務め上げ、その後もテレビ東京系列局でファミ通との提携番組『GameWave』でも司会に起用されることになった。







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