グアム 歴史

グアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 03:54 UTC 版)

歴史

古代

グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人マレーシアインドネシアフィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。そのことはラッテストーンと呼ばれる古代チャモロ遺跡が残存していることでわかる。

スペイン植民地化

1521年にポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達[注 3]1565年レガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が1568年に開かれ、スペインの大型船ガレオン船が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろロタやグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行った。 1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会カトリック教会布教活動のため訪れるようになった。先住民はチャモロであるが、サイパンを含む北マリアナ諸島から移住させられたチャモロが多数いた。

しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗はなくキリスト教文化が定着するようになったといわれている。

アメリカによる占領と支配

1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピンプエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれた。アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めた。

日本による占領

グアムを占領する日本海軍将兵

1941年12月8日太平洋戦争が勃発。大日本帝国海軍真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)に、グアムへの航空攻撃を開始し、2日後に日本軍がアメリカ軍を放逐し、島名を「大宮島」と改名して大日本帝国領土とし、その後2年7か月にわたり占領した[注 4]

1944年7月、グアムの戦いアメリカ軍が奪還した。以後アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を拡張し、戦争終結までの間日本列島への爆撃拠点として使用した。

アメリカの再占領と支配

タモン湾のホテル

1950年アメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によって主権に制限を受け、米連邦法上「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」であり、米連邦政府の所有物であるという政治的地位となり、事実上グアムは米国の「植民地」の中[4]、カールトン・スキナー(Carlton S. Skinner)が初の民間人知事となった。

第二次世界大戦の終戦後も、現在に至るまでアメリカ軍の太平洋戦略上重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、ベトナム戦争の際も北爆に向かう爆撃機の拠点として使用され、アメリカ軍が経済に与える影響も大きい。

1960年代後半以降は、日本からの観光客を中心とした観光地およびリゾート地として発展を遂げ、ホテルやレストラン、免税店などが立ち並ぶ。1990年代以降日本からの観光客は減ったが、2000年代以降は大韓民国中華民国からの観光客が増加し、現在は経済面では日本などの海外からの外国人観光客による収入が重要な位置を占めている[いつ?]

改名問題

タモン湾越しに望む恋人岬

準州知事フェリクス・カマチョ2010年2月15日、演説の最後に、グアムの呼称を以前の「Guahan」に変えるように呼びかけた[5]。同日、カマチョは島名を変更する政令を出した[6][7]。カマチョは同時に自らを「Guahanの知事」と呼び始めた[8]

歴史家のToni Ramírez(グアム公園保養局文化財保護所)によると、Guahanとは「我々のもの」("we have")もしくは「所有している場所」("a place that has")[5]を意味し、島の川や天然資源を指して使用した。川や天然資源はミクロネシアの他の諸島では比較的希少なものであったと言う[7]

Guahan或いはGuajánは、1521年から1898年の間に島名として広く使用されていた[5][9]。しかし、グアム、そしてGuahanという名前は両方とも歴史文書や地図に数百年も遡って見出されると言うのが、Peter Onedera(グアム大学チャモロ語教授、歴史家)[8]による見解である。初代グアム知事を務めたリチャード・P・リアリー提督は1900年、「グアム」を採用したが、それは彼が「グアムの小島」と読んだからである[7][8]

知事2期目を務めるカマチョ(グアムにて3選はできない)は2011年にはグアム政府から引くことになる[8]。彼は演説の最後にて、改名は知事の遺産として基盤とし、歴史上自分が改名路線の固定化を為すべき立場にある旨を説明した[8]。彼はGuahanへの改名が明確な独自性とチャモロ文化の遺産を再認識させることになるだろうと論じた[7]。カマチョの政令は次のように明確に述べている。「チャモロ語の使用を広め、歴史的、文化的な連携を島にもたらすよう邁進しよう」[8]。政令は今回は地方のグアム政府機関、公式のやり取り、商業取引、標識にのみ適用される[8]。しかし、カマチョは地域社会の指導層、財界、議員達にGuahanの名を同じように採用させることに関心を持っている[8]。カマチョは更に、法的にも改名を実施するためグアム立法院で法案331号を提案すると発表した[5]。政令には政府機関が変更する際の猶予期限がないが、これは景気後退が長引いているため、準州政府の時間的、金銭的負担を軽減するためである[8]。改名は新しい便箋を発注する際など都合のよい時になされるべきだと言う[8]

変更案に対する反応は議員と住民共に複雑なものだった。立法院のJudith Won Pat議長は、改名がグアムにてこれまで認識されてきた独自性の喪失を、回復するのに役立つことに留意した[7]。彼女はメディアに「これは人々が自分達が何者なのかを知ろうとし、彼らの独自性を見つけようと望む世代が世界中に広がっているということです。これはとても重要なことであり、グアムでも同じです」と語った[7]。作家で元立法院議員のKatherine Aguonは政令が出る少し前にチャモロ語-英語辞典を出版したが、改名を支持する一方で、どんな提案でもグアム有権者の信認を得なければならない旨を強調した[8]

グアムの名が改名されると、経済的な影響が考えられる。エディー・カルヴォは2010年の知事選の共和党候補者であるが、政令を支援するためには標識、文書、広告の改名の際の費用を考慮しなければならない点に注意を向けている[7]。グアム政府観光局(Guam Visitors Bureau,GVB)は、何百万ドルもの予算を消費して主要な観光客やビジネス客に対してこの島の現在の名前、グアムを商標として使い、改名問題が惹起した頃に新しいキャンペーンをはじめた。そのキャンペーンでは「私たちはグアムです」("We Are Guam")と銘打った[10]。全ての道路標識と歓迎の看板を変更する費用は文書や観光キャンペーンと同じように見積もる必要性が指摘されている[10]

新型コロナウイルスの感染拡大

2020年、アメリカ本土で新型コロナウイルス感染症が拡大すると、同年3月14日、知事が公衆衛生緊急事態を発令。3月20日には住民に在宅を強いる「ステイホーム令」を発令し、事実上のロックダウンに踏み切った[11]。その後、感染拡大には歯止めがかかり規制は一時的に緩和されたが、8月14日にはステイホーム令が再開。12月初旬には人口約16万6000人の島内の累計感染者は約7000人に達した。島外からの旅行者には14日間の強制隔離を課して締め出していたものの、アメリカ軍基地で働く建設関係者は検疫や隔離が免除されており、結果的に彼らが第二波の引き金を引くこととなった[11]


注釈

  1. ^ 英語発音はグワーム。「ア」を小書きし、「グァム」と表記することもある。発音もアが完全に抜け、「ガム」と行う場合も有る。
  2. ^ 「だいきゅうとう」が正式呼称であったが、一般には「おおみやじま」と呼ばれていたようである[独自研究?]
  3. ^ グアムのウマタック湾には、1930年代に建てられたマゼラン上陸記念碑がある。(中山京子「マリアナ諸島は「発見」されたのか?」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 86ページ)
  4. ^ この占領期間に日本人はチャモロの人々を飛行場建設や稲作の労働などに強制し、日常生活でも束縛したとされる(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 91ページ)

出典

  1. ^ 日本海軍は、島名を「大宮島」(おおみやじま)とし」とある。(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 93ページ)
  2. ^ NOWData – NOAA Online Weather Data”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2012年11月17日閲覧。
  3. ^ Climatological Information for Guam, Pacific Islands, United States”. Hong Kong Observatory. 2012年11月17日閲覧。
  4. ^ 「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍:時事ドットコム
  5. ^ a b c d Camacho wants Guam renamed "Guahan"KUAM. 2010-02-16.
  6. ^ “Governor Issues Executive Order Changing Island Name To Guahan”. Pacific News Center. (2010年2月16日). http://www.pacificnewscenter.com/index.php?option=com_content&view=article&id=3315:governor-issues-executive-order-changing-island-name-to-guahan&catid=50:homepage-slideshow-rokstories 2010年2月18日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f g Tamondong, Dionesis (2010年2月16日). “Camacho: Name change will affirm identity”. Pacific Daily News 
  8. ^ a b c d e f g h i j k Limtiaco, Steve (2010年2月18日). “Residents mixed on name change”. Pacific Daily News 
  9. ^ José Antonio Saco. Colección de papeles científicos, históricos, políticos y de otros ramos sobre la isla de Cuba. 1859.
  10. ^ a b “GVB Reacts To Proposed Guam Name Change”. Pacific News Center. (2010年2月16日) 
  11. ^ a b c d e f g h i 「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍”. 時事通信社 (2020年). 2020年12月27日閲覧。
  12. ^ a b 中島洋(太平洋学会専務理事)コモンウェルスを目指すグアムは? 『ミクロネシア講座』やしの実大学HP内
    (サイパン・ロタ・テニアン月刊情報誌『ハファダイ』1992年2月号からの転載HP)
    中島は執筆に当たり矢崎幸生『ミクロネシアの憲法集』曉印書館 1984年
    矢崎幸生「北マリアナは連邦制国家か」『太平洋学会誌第12号』 1981年 を参照している。
  13. ^ ミサイル計画 グアムに影 北朝鮮表明で邦人客38%減 東京新聞(2017年12月27日 夕刊) 2018年2月7日号閲覧
  14. ^ 泉正南「知っておきたいグアムのマグロ産業-米国マグナソン漁業保存管理法の改正-」『ミクロネシア』1997年4月No.105
  15. ^ 中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)第4回年次会合の結果について 日本国水産庁 2007年12月7日
  16. ^ "Private Schools in Guam." (Archive) Morale Welfare & Recreation Office, Guam (MRW Guam). March 19, 2012. p. 2 of 4. Retrieved on January 2, 2014. "170 Terao St, Mangilao, Guam 96913."
  17. ^ 中山京子「プンタンとフウナの物語」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 81ページ
  18. ^ チャモロ料理について グアム政府観光局






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