カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス 経歴

カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 19:18 UTC 版)

経歴

2005年にJ2京都パープルサンガ期限付き移籍し、J1昇格に貢献した。J1昇格後の2006年は活躍できず、6月にJ2の横浜FCに期限付き移籍する。横浜FCではクラブ初のJ1昇格に王手を懸けた敵地・サガン鳥栖戦で決勝点を挙げるなど貢献した。横浜FCでは途中加入にも関わらず、24試合・1620分の出場で得点ランキング6位の18ゴールと、およそ90分につき1点を挙げる活躍を見せ、J2チームのJ1昇格に再び貢献した。しかし来季の契約が物別れに終わり、わずか半年で横浜FCを退団した。

2007年はじめにブラジルのSEパルメイラスに移籍したが、ひざのじん帯の負傷で欠場期間が長かった。2007年7月8日、ブラジルのリオデジャネイロ州にて交通事故により23歳で死去した[1]

古巣であった横浜FCは、彼の死去後の7月9日と10日に、ホームグラウンドである三ツ沢公園球技場に献花台を設け、雨の中多くのサポーターや選手が駆けつけたという[2]。また、2005年から約1年半在籍していた京都パープルサンガも、死去後の7月11日の試合で選手が喪章を付け[3]、彼の死を悼んだ。14日の試合に勝利した際にも、選手や監督から「この勝利をアレモンに捧げます」というコメントが出されている[4]

エピソード

  • 前述のように、横浜FCの在籍期間は僅か半年であったものの、サポーターからは、彼の命日である7月8日に毎年その死を惜しまれているなど、愛されている選手であった[2]
  • 横浜FC時代には、ゴール後のパフォーマンスとして、お笑い芸人の河本準一のギャグである「お前に食わせるタンメンはねぇ」のポーズをしていた。彼の命日である7月8日には、タンメンを食べてアレモンを偲ぶサポーターもいたという[2]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
メキシコ・ブラジル リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2000 アトラス
2001
2002
2003
2003
2004 コリチーバ 28 8
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 京都 9 J2 34 15 -
2006 J1 10 2 5 2 - 15 4
2006 横浜FC 7 J2 24 18 -
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2007 パルメイラス
通算 ブラジル
日本 J1 10 2 5 2 - 15 4
日本 J2 58 33 -
総通算







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