オドルヘユ・セクイエスク 人口動静

オドルヘユ・セクイエスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 19:59 UTC 版)

人口動静

総人口3万6948人のうち、95.7%にあたる3万5359人がハンガリー人で、この割合は国内の都市のなかで二番目に高い[1]。残りは2.91%がルーマニア人で、1.16%がロマである。

国勢調査ごとの総人口の推移:

人口の約半数にあたる50.05%がローマ・カトリックを信仰している。残り半数はハンガリー改革派教会 (30.14%)、トランシルヴァニア・ユニテリアン教会 (14.71%)、ルーマニア正教会 (2.54%) などに分かれる。

歴史

町はハンガリー王国時代からウドヴェルヘリ県の県庁所在地として、セーケイ地方の中心であった。1334年の教皇文書に「Oduorhelのsacerdos」というハンガリー人が登場するのが地名の初出である[2]。1613年に時のトランシルヴァニア公ベトレン・ガーボルが町の領有権を主張したが、時を同じくしてセーケイウドヴァルヘイ (Székelyudvarhely) に改称された。

1357年にセーケリ地方で初めて議会が置かれ、1451年には砦も築かれた。砦はヤーノシュ・ジグモンドが1565年に増築したが、1599年にワラキアのミハイ勇敢公がハプスブルク家と組んで破壊した。その後再建されたが、それもまた破壊された。城址はいま「セーケイの襲撃を受けた要塞」として知られている。

1920年のトリアノン条約でルーマニア領となり、戦間期はオドルヘイ県に属した。1940年の第二次ウィーン裁定でトランシルヴァニア北部の見做されハンガリー領となったが、ソ連進駐後の1944年にルーマニアの行政区画に組み入れられ、1947年に正式に復帰した。1952年から1960年まではハンガリー人自治区、1960年から1968年まではムレシュ=ハンガリー人自治区に区分された。1968年の自治区廃止にともない、現在までハルギタ県となっている[3]

2005年8月には大洪水が一帯を襲った。

偉人像のある公園

2004年5月22日には市内の公園にセーケリ地方の歴史上の偉人像がお目見えしたが、そのなかに第二次世界大戦後の軍事裁判にかけられたワシュ・アルベルトの像があったため物議をかもした。

出身有名人

  • セーケイ・モーゼシュ(1553年 - 1603年) トランシルヴァニア公
  • ラカトシュ・イシュトヴァーン(1620年ごろ - 没年不詳) 歴史家
  • エトヴェシュ・ペーテル(1944年 - ) 作曲家・指揮者
  • ライク・ラースロー(1909年 - 1949年) 共産党の政治家。ラーコシ・マーチャーシュの見せしめ裁判の犠牲者
  • トムチャ・シャーンドル(1897年 - 1963年) 詩人
  • チャナーディ・ジェルジ(1895年 - 1942年) セーケイ賛歌の作詞家
  • チキ・アンドラーシュ(1930年 - ) 俳優
  • ツォルタン・フェヤー=コネルト(1978年 - ) 卓球選手

  1. ^ Census data 2002
  2. ^ János András Vistai. “Tekintő – Erdélyi Helynévkönyv”. 2011年8月22日閲覧。
  3. ^ John F. Cadzow, Andrew Ludányi, Louis J. Éltető (1983). Transylvania: the roots of ethnic conflict. Kent State University Press. ISBN 0873382838, 9780873382830. "1968 ...On February 14, the administrative reorganization of Rumania eliminates the Mures-Magyar Autonomous Region and replaces it with the counties of Mures,..." 


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