エドワード・ネヴィル (第3代バーガヴェニー男爵) エドワード・ネヴィル (第3代バーガヴェニー男爵)の概要

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エドワード・ネヴィル (第3代バーガヴェニー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 09:26 UTC 版)

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生涯

初代ウェストモーランド伯爵ラルフ・ネヴィルジョウン・ボーフォートジョン・オブ・ゴーントの娘)の末男として生まれた[1]

父の手配により[2]1424年10月18日までにエリザベス・ビーチャム英語版(1415年9月16日 – 1448年6月18日、初代ウスター伯爵リチャード・ビーチャムの娘)と結婚[1]、2男2女をもうけた[3]

  • リチャード - 早世
  • ジョージ英語版(1440年頃 – 1492年) - 第4代および第2代バーガヴェニー男爵
  • アリス - サー・トマス・グレイ(Sir Thomas Grey)と結婚
  • キャサリン - Iwardby氏と結婚

ネヴィルの父はネヴィルとエリザベスの結婚のために2,000マーク(エリザベスの所領から得られる年収の2倍)も費やしたが、ネヴィルが妻の領地を手にするのは1436年3月のことだった[4]。これは初代ウスター伯爵の父初代バーガヴェニー男爵ウィリアム・ビーチャム英語版が遺言状で領地を一代限りで妻ジョーン・フィッツアラン英語版に譲ったためで、初代ウスター伯爵がジョーンに先だって1422年に死去したためだった[4]。初代バーガヴェニー男爵はさらに1396年にアバーガヴェニー城英語版の限嗣相続について定め、自身の男系男子が断絶した場合には兄の第12代ウォリック伯爵トマス・ド・ビーチャムが継承するとした[4]。これにより女子であるエリザベスはアバーガヴェニー城の継承から排除され、ジョーンが1435年に死去した後、第12代ウォリック伯爵の息子にあたる第13代ウォリック伯爵リチャード・ド・ビーチャムがアバーガヴェニー城を、エリザベスがそれ以外の遺産を継承することとなった[4]

しかし、リチャードは1439年に死去、さらにその息子にあたる初代ウォリック公爵ヘンリー・ビーチャム英語版が1446年6月11日に死去すると、12代ウォリック伯トマスの男系男子は断絶、ウォリック伯爵位を継承したアン・ビーチャム英語版はわずか3歳だった[4]。ネヴィル夫婦はおそらく同年秋にアバーガヴェニー城を占拠したが、10月に国王ヘンリー6世第3代ヨーク公爵リチャード・プランタジネットに命じて2人を追い出した[4]。結局、ネヴィルがアバーガヴェニー城に進入する許可を国王から得たのはエリザベス・ビーチャムとアン・ビーチャムの死後の1449年7月14日だった[2]

1448年10月15日以降、キャサリン・ハワード(Katherine Howard、1478年6月29日以降没、ロバート・ハワードの娘、初代ノーフォーク公爵ジョン・ハワードの姉妹)と再婚、2男3女をもうけた[4][3]

  • ラルフ - 子供なし[2]
  • エドワード - 子供なし[2]
  • マーガレット(1506年9月30日没) - 第7代コバム男爵ジョン・ブルックと結婚[3]
  • キャサリン - ロバート・タンフィールド(Robert Tanfield)と結婚[3]
  • アン(1481年2月26日またはそれ以降没)[3]

1449年にノルマンディーでしばらく軍務に就いた後[2]、1450年9月にバーガヴェニー男爵として議会召集令状を受け、以降1472年8月19日までバーガヴェニー男爵としてイングランド議会に登院したが[1]、結局存命中にアバーガヴェニー城を手中に収めることはなく、バーガヴェニー男爵家が爵位名の由来する城を獲得するのはエドワード・ネヴィルの孫の代となった[2]。また、1450年以降のバーガヴェニー男爵家が所有する領地は男爵より高位の貴族に匹敵したが、バーガヴェニー男爵家が伯爵に昇叙されるのは1784年のことだった[4]

兄の第5代ソールズベリー伯爵リチャード・ネヴィル初代ケント伯爵ウィリアム・ネヴィルのような手腕はなかったが、バーリング英語版に住むケントの地主として薔薇戦争に巻き込まれることは避けられず、1460年7月10日のノーサンプトンの戦い第16代ウォリック伯爵リチャード・ネヴィル第4代ヨーク公爵エドワード・プランタジネット(後の国王エドワード4世)に味方して参戦した[4]。1462年秋にはイングランド北部でランカスター派の反乱鎮圧に関わった[2]

第二次内乱(1469年 – 1471年)には関与せず、1471年7月3日にウェールズ公エドワード(後の国王エドワード5世)にエドワード4世の後継者として忠誠を誓った[4]

1476年10月18日に死去、息子ジョージ英語版が爵位を継承した[1]

出典

イングランドの爵位
爵位創設 バーガヴェニー男爵
1450年 – 1476年
次代:
ジョージ・ネヴィル英語版

  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 27–31.
  2. ^ a b c d e f g Tait, James (1894). "Neville, Edward (d.1476)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 40. London: Smith, Elder & Co. pp. 248–250.
  3. ^ a b c d e "(A)bergavenny, Baron (E, 1450 - abeyant 1762)". Cracroft's Peerage (英語). 30 January 2007. 2020年10月15日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i j Pugh, T. B. (23 September 2004). "Neville, Edward, first Baron Bergavenny". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/19929 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)


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