「北院御室日次記」を解説文に含む見出し語の検索結果(31~40/51件中)
清慎公記(せいしんこうき)とは、平安時代中期に関白を務めた藤原実頼の日記。「清慎公」は実頼の諡号で、その字の偏より水心記(すいしんき)[1]、邸宅の名称から小野宮記(おののみやき)ある...
為房卿記(ためふさきょうき)は、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇に蔵人・蔵人頭として仕え、大蔵卿・参議として活躍した藤原為房の日記で、「大記」「大御記」「大府記」とも呼ばれる。延久2年(1070年)から永...
為房卿記(ためふさきょうき)は、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇に蔵人・蔵人頭として仕え、大蔵卿・参議として活躍した藤原為房の日記で、「大記」「大御記」「大府記」とも呼ばれる。延久2年(1070年)から永...
為房卿記(ためふさきょうき)は、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇に蔵人・蔵人頭として仕え、大蔵卿・参議として活躍した藤原為房の日記で、「大記」「大御記」「大府記」とも呼ばれる。延久2年(1070年)から永...
為房卿記(ためふさきょうき)は、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇に蔵人・蔵人頭として仕え、大蔵卿・参議として活躍した藤原為房の日記で、「大記」「大御記」「大府記」とも呼ばれる。延久2年(1070年)から永...
為房卿記(ためふさきょうき)は、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇に蔵人・蔵人頭として仕え、大蔵卿・参議として活躍した藤原為房の日記で、「大記」「大御記」「大府記」とも呼ばれる。延久2年(1070年)から永...
『台記』(たいき)は、宇治左大臣藤原頼長の日記。『宇槐記』、『槐記』とも言う。『台記』の名称は、大臣の唐名のひとつ「三台」による。概説保元の乱の首謀者・頼長の記録で、保延2年(1136年)から久寿2年...
『台記』(たいき)は、宇治左大臣藤原頼長の日記。『宇槐記』、『槐記』とも言う。『台記』の名称は、大臣の唐名のひとつ「三台」による。概説保元の乱の首謀者・頼長の記録で、保延2年(1136年)から久寿2年...
吏部王記(りほうおうき/りぶおうき)は、醍醐天皇第四皇子重明親王の日記で、平安時代中期の政務や朝儀を理解する上での重要な史料である。本書は、重明親王の極官が式部卿であったため、式部の唐名「吏部」に因ん...
吏部王記(りほうおうき/りぶおうき)は、醍醐天皇第四皇子重明親王の日記で、平安時代中期の政務や朝儀を理解する上での重要な史料である。本書は、重明親王の極官が式部卿であったため、式部の唐名「吏部」に因ん...