「李昭道」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/33件中)
読み方:りゅうど明末・清初の画家。銭塘(浙江省杭州)生。字は叔憲、または叔献。浙派系の藍瑛に画を学ぶ。李昭道・趙伯駒風の装飾的な表現による巧緻な山水画を能くした。康煕10年(1671)存、享年未詳。
読み方:りゅうど明末・清初の画家。銭塘(浙江省杭州)生。字は叔憲、または叔献。浙派系の藍瑛に画を学ぶ。李昭道・趙伯駒風の装飾的な表現による巧緻な山水画を能くした。康煕10年(1671)存、享年未詳。
読み方:りしくん[653〜718]中国、唐の画家。字(あざな)は建見。王族の出身。子の李昭道とともに青緑山水・金碧(きんぺき)山水にすぐれ、大李将軍・小李将軍と並称され、北宗画の祖とされる。
読み方:りしくん[653〜718]中国、唐の画家。字(あざな)は建見。王族の出身。子の李昭道とともに青緑山水・金碧(きんぺき)山水にすぐれ、大李将軍・小李将軍と並称され、北宗画の祖とされる。
読み方:りしくん[653〜718]中国、唐の画家。字(あざな)は建見。王族の出身。子の李昭道とともに青緑山水・金碧(きんぺき)山水にすぐれ、大李将軍・小李将軍と並称され、北宗画の祖とされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 22:09 UTC 版)「李思訓」の記事における「李昭道」の解説李思訓の子。太子中舎に任じられた。父と同じく山水...
李将軍(りしょうぐん)中国李広李陵李思訓 (大李将軍)李昭道 (小李将軍)李景林朝鮮李舜臣このページは人名の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ...
江帆楼閣図李 思訓(り しくん、653年 - 718年[1])は、唐代玄宗朝に仕えた官僚。画に長じ、子の李昭道とともに、北宗画(北画)の祖とされる。また、唐の宗室出身で、宰相となった李...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 03:19 UTC 版)「李ヨウ (唐)」の記事における「李思訓碑」の解説全名は『雲麾将軍李思訓碑』(うんきしょ...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)「中国の絵画」の記事における「山水の変」の解説張彦遠の『歴代名画記』に「山水の変は呉に始...
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「李昭道」の辞書の解説