「一家を成した」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/75件中)
江戸後期の儒者。信濃生。名は虎、字は叔貔、多門と称する。貧困のため旭山領についた他は独学で一家を成した。のち官学派に対抗し、寛政の異学の禁では、五鬼の一人に数えられる。門弟多数。天保3年(1832)歿...
読み方:まつもと こうざん幕末の画家。江戸生。名は機、字は真宰、通称文右衛門・次郎吉・大学、別号に亀交山・七草庵。画を谷文晁に学び、法眼に叙せられる。のち酒井抱一と親交し、光琳の画風を極め一家を成した...
読み方:まつもと こうざん幕末の画家。江戸生。名は機、字は真宰、通称文右衛門・次郎吉・大学、別号に亀交山・七草庵。画を谷文晁に学び、法眼に叙せられる。のち酒井抱一と親交し、光琳の画風を極め一家を成した...
読み方:よこやま かざん江戸後期の画家。京都生。名は一章、字は舜朗。松村月溪を慕い、遂に一家を成した。山水を能くし、嘗て京洛一覧図を作り大いに賞される。天保8年(1837)歿、54才。
読み方:よこやま かざん江戸後期の画家。京都生。名は一章、字は舜朗。松村月溪を慕い、遂に一家を成した。山水を能くし、嘗て京洛一覧図を作り大いに賞される。天保8年(1837)歿、54才。
読み方:かのう幕末の狩野派の画家。号は顕幽斎。初め土佐四条、後狩野素川に師事する。諸派の長を斟酌し一家を成した。仏画に秀で、作品に成田山不動堂の天井の龍・壁の釈迦三尊・十大弟子や、五百羅漢図等がある。
読み方:かのう幕末の狩野派の画家。号は顕幽斎。初め土佐四条、後狩野素川に師事する。諸派の長を斟酌し一家を成した。仏画に秀で、作品に成田山不動堂の天井の龍・壁の釈迦三尊・十大弟子や、五百羅漢図等がある。
安土・桃山時代の画家。西国生。狩野永徳の門に学び、海北友松の門人となる。能く師の筆風を得るが、のち画風を転じて一家を成した。慶長年間(1596~1615)に活躍、歿年未詳。
読み方:すずき あきら江戸後期の国学者。尾張生。姓は山田、字は叔清、通称は常介、離屋と号する。本居宣長に学んで一家を成した。天保8年(1837)歿、74才。
読み方:すずき あきら江戸後期の国学者。尾張生。姓は山田、字は叔清、通称は常介、離屋と号する。本居宣長に学んで一家を成した。天保8年(1837)歿、74才。
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