宋義
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宋 義(そう ぎ、? - 紀元前207年)は、秦末の人。秦に反抗した楚に属し、懐王に仕えたが、項梁の後の楚の総大将となり項羽に殺害された。宋襄の父で、宋昌の祖父[1][2][3]。
- ^ 『史記索隠』が引く『会稽典録』による。
- ^ 以下、特に注釈がない部分は、『史記』秦楚之際月表第四・項羽本紀による。
- ^ 年号は『史記』秦楚之際月表第四による。西暦で表しているが、この時の暦は10月を年の初めにしているため、注意を要する。
- ^ 『史記索隠』が引く荀悦の『漢紀』による。
- ^ 『史記』高祖本紀
- ^ 後9月は、顓頊暦における閏月。
- ^ 『史記』黥布列伝
- ^ 荀悦『漢紀』高祖皇帝紀第一
- ^ 佐竹靖彦は、卿子冠軍について、「卿子とは公卿のことであり、冠軍とは軍のトップ、あるいは大元帥の意味である」としている。佐竹靖彦『劉邦』275頁
- ^ 佐竹靖彦は、「(この軍令は)項羽を指している。項羽がこのようなあてこすりを隠忍すれば、上将軍宋義の絶対的権威が確立するであろう。それでもなお、項羽は耐えた」としている。佐竹靖彦『項羽』156頁
- ^ 奥崎裕司は、「この軍令は事実上「項羽のような男は斬る」ということである。これで項羽が怒らぬはずがない」としている。歴史群像シリーズ32、『【項羽と劉邦 上巻】 龍虎、泰滅尽への鋭鋒』78頁
- ^ 『史記索隠』が引く『東観漢記』及び『会稽典録』による。
- ^ 『史記』孝文本紀第十
- ^ 『資治通鑑』卷十 漢紀二
- ^ a b 歴史群像シリーズ32、『【項羽と劉邦 上巻】 龍虎、泰滅尽への鋭鋒』79頁
- ^ 『読通鑑論』卷一
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