レフ (ロシア・アヴァンギャルド)
レフ(LEF, Леф, ЛЕФ, Левый фронт искусств, Left Front of the Arts、芸術左翼戦線)とは、ロシア・アヴァンギャルド期における、文学・芸術に関する左翼団体およびその機関誌名。文学と芸術を通じて、左翼的な哲学やイデオロギーの構築・実現を目指した。
1923年から1925はLEFとして、1927年から1929年はNovy LEFとして発行された[1]。 主要メンバーは、
- 詩・文学では、マヤコフスキー、アセーエフ、トレチャコフ、カメンスキー、パステルナーク、ネズナモフ、チュジャク、アルヴァートフ、クシュネル、ブリーク、キルサノフ、シクロフスキー、ラヴィンスキー、クルチョーヌイフ、ヴィノクール、トゥイニャーノフ
- 美術では、ロトチェンコ、ステパノヴァ
- 映像では、エイゼンシュテイン、クレショフ、ヴェルトフ
レフは、未来派、ロシア構成主義、オポヤズなどにかかわった者が寄り集まったものだといえる。1929年5月末には、マヤコフスキー、アセーエフ、ブリーク、ネズナモフらはレフを脱退し、6月までにはРеф(REF、レフ、芸術革命戦線)を結成した。
後にロシア・プロレタリア作家協会(ラップ)などの諸団体と合同してソビエト連邦作家同盟に再編された。
機関誌レフ
表紙には、「Журнал Левого Фронта Искусств」とも記載されているが、通常、単に「レフ」と呼ばれる。1923年3月に創刊、1924年まで全7号が刊行された。編集責任者はマヤコフスキー、表紙その他デザインは主としてロトチェンコ。マヤコフスキー以外の編集委員は、以下の6名。
- ニコライ・アセーエフ
- ボリス・アルヴァートフ
- オシップ・ブリーク
- ボリス・クシュネル
- セルゲイ・トレチャコフ
- ニコライ・チュジャク
各号は以下のとおり
- 1923年1号(創刊号。3月、март)
- 1923年2号(4月-5月、апрель-май)
- 1923年3号(6月-7月、июнь-июль)
- 1923年4号(8月-12月、август-декабрь)
- 1924年1号(通巻5号)
- 1924年2号(通巻6号)
- 1925年1号(1月。通巻7号。最終巻。「1925年3号」(1924年度の「3号」が、年を越えて刊行されたということか?)と表記する資料もある)
1927年1月には、新レフ(New Lef, Новый Леф)が創刊された。1928年12月号まで全22号が刊行された。編集責任者はマヤコフスキーで(ただ、最後の5号はトレチャコフが編集したとされる)、マヤコフスキー以外には、アセーエフ、トレチャコフ、ブリーク、シクロフスキーらが参加。美術は引き続きロトチェンコ。
各号発行月。
- 1927年1月号から1928年12月号
脚注
- ^ magazine=Screen Volume Soviet Film 1920s: Translations from LEF, Novy LEF, Brik, Kuleshov, Shklovsky, Vertov. Mayakovsky Film Scenarios. Politics and Production: The work of Godard. Marinetti and Mayakovsky magazine=Screen Volume 12 Soviet Film 1920s 2024年2月1日閲覧
関連項目
- LEF (journal)のページへのリンク