コンラト3世スタルィとは? わかりやすく解説

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コンラト3世スタルィ

(Konrad III the Old から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 09:02 UTC 版)

コンラト3世スタルィ
Konrad III Stary
オレシニツァ公
在位 1377年 - 1412年

出生 1359年
死去 1412年12月28日
配偶者 ユディタ
子女 一覧参照
家名 シロンスク・ピャスト家
父親 オレシニツァ公コンラト2世
母親 アグニェシュカ・チェシンスカ
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コンラト3世スタルィ(Konrad III Stary, 1359年頃 - 1412年12月28日)は、オレシニツァ、コジュレ、ビトム半国、シチナヴァ半国の公(在位:1377年 - 1412年、1403年の父の死後は単独統治)。コンラト2世の一人息子、母はチェシン公カジミェシュ1世の娘アグニェシュカ。老公(Stary)の異称がある。

1377年、将来の公国の相続人であったコンラト3世は父の共同統治者となった。1403年に父が死ぬと、コンラト3世は単独の統治者となった。しかし父同様、その治世についてはよく分からない。

子女

1380年、出自不明のユディタ(1416年6月26日没)という女性と結婚し、7人の子女をもうけた。

  1. コンラト4世(1384年頃 - 1447年8月9日)
  2. コンラト5世(1385年頃 - 1439年9月10日)
  3. コンラト6世(1391年頃 - 1427年9月3日)
  4. コンラト7世(1396年頃 - 1452年2月14日)
  5. コンラト8世(1397年頃 - 1444年9月5日以前)
  6. エウフェミア(1404年? - 1442年11月27日) - 1420年1月14日にザクセン選帝侯アルブレヒト3世と結婚、1432年にアンハルト=デッサウ侯ゲオルク1世と再婚
  7. ヤドヴィガ(1405年? - 1454年6月25日) - 1430年、グウォグフ公ヘンリク9世と結婚

参考文献

先代
コンラト2世シヴィ
オレシニツァ公
コンラト2世と共同統治(1403年まで)

1377年 - 1412年
次代
コンラト4世スタルシ
コンラト5世コンツキ
コジュレ公
コンラト2世と共同統治(1403年まで)

1377年 - 1412年
ビトム公(半国)
コンラト2世と共同統治(1403年まで)

1377年 - 1412年
シチナヴァ公(半国)
コンラト2世と共同統治(1403年まで)

1377年 - 1412年




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