グランド・ファンク・レイルロードとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 音楽家 > ポピュラー音楽の音楽家一覧 (グループ) > グランド・ファンク・レイルロードの意味・解説 

グランド・ファンク・レイルロード

(Grand Funk から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/17 19:30 UTC 版)

グランド・ファンク・レイルロード
基本情報
別名 グランド・ファンク
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州 ジェネシー郡 フリント
ジャンル
活動期間
  • 1969年 - 1976年
  • 1981年 - 1983年
  • 1996年 - 1998年
  • 2000年 -
レーベル
公式サイト Grand Funk Railroad Official Web Site
メンバー
旧メンバー

グランド・ファンク・レイルロードGrand Funk Railroad, GFR[注 1]アメリカ合衆国ハードロック・バンドである。

1960年代末にマーク・ファーナー英語版メル・サッチャー英語版[3]ドン・ブリューワー英語版によって結成された。ギタリスト、ベーシスト、ドラマーのパワー・トリオとして高い人気を獲得し、1972年にキーボーディストを含むカルテットとなり、1976年に解散するまでアルバムとヒット・シングルを連発し続けた。 2度の解散と再結成を経て、ブリューワーを中心に2023年現在も活動中である。

歴史

結成

ドン・ブリューワー(Don Brewer, ds)とマーク・ファーナー(Mark Farner, vo & g)は、1965年にミシガン州フリントで元DJのテリー・ナイト(Terry Knight, vo)が結成した「テリー・ナイト・アンド・ザ・パック(Terry Knight and the Pack)」のメンバーであった[注 2]。両名は1967年にナイトがソロ活動のために同バンドを去った後も在留して活動し続けた[注 3]が、1969年に脱退。同郷でクエスチョン・マーク&ザ・ミステリアンズに在籍していたメル・サッチャー (Mel Schacher, b) [注 4]を誘ってトリオを結成した。

トリオ期

バンドのサウンドは1968年頃より勃興していたニューロックあるいはヘヴィロック[注 5]のスタイルをいち早く取り入れ、かつての同僚でキャピトル・レコードA&Rになっていたナイトとマネージメントの契約を結んだ。そしてアメリカの鉄道会社「グランド・トランク鉄道 (Grand Trunk Western Railroad) 」をもじったグランド・ファンク・レイルロードを名乗った。

1969年7月4日と5日にジョージア州ハンプトンで開催された第一回アトランタ・インターナショナル・ポップ・フェスティバルにレコード・デビュー前の無名バンドとして出演して注目を集め、キャピトルと契約した。そしてナイトのプロデュースで制作したアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場 (On Time)』でデビュー。レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めた際に、歌唱力と演奏力で聴衆を熱狂させて主役を食ってしまったことによって、ロック・ファンの間で知名度が高まった[要出典] 。同年発表されたセカンド・アルバム『グランド・ファンク (Grand Funk)』はRIAAによってゴールドディスクに認定され[注 6]、デビュー・アルバムも1970年に入ってゴールドディスクに認定された。デビュー・アルバムからシングルカットされた「ハートブレイカー」はハードロックの古典になり、セカンド・アルバムに収録されたアニマルズの「孤独の叫び」のカバーファンキーな人気曲となった。

1970年には『クローサー・トゥ・ホームCloser to Home)』と2枚組ライヴ・アルバム『ライヴ・アルバムLive Album)』、1971年には『サバイバルSurvival)』と『戦争をやめようE Pluribus Funk)』を発表。ローリング・ストーン誌などは彼等のアルバムやステージに辛辣な評価を下した[4]が、いずれのアルバムも全米アルバム・チャートの10位以内を記録して、プラチナディスクに認定された。1971年7月9日にシェイ・スタジアムで開催されたニューヨーク公演の55000席の前売り券は、同球場窓口で発売開始後72時間で売り切れた[注 7][4]。同月初来日し、後楽園球場で開催された東京公演での激しい雷雨に見舞われた演奏は語り草になった。開演時に会場へ入り切れなかった観客の一部が暴徒と化し、12番ゲートの扉を破壊して放火。さらに、駆けつけた機動隊員らに投石をする暴動を起こしたが、雷雨により鎮静化した[5]ザ・タイガースは「ハートブレイカー」をコンサートのレパートリーとして取り上げ、のちにフォークシンガーとしてデビューする井上陽水は上記東京公演で聴いた同曲のコード進行を模倣して「傘がない」を書いた

1971年の後半、メンバーはナイトが財政を不正に管理していると疑い始め、1972年3月に彼を解雇した。同年発表した『不死鳥 (Phoenix)』はメンバーによってプロデュ―スされ、ゲストに元テリー・ナイト・アンド・ザ・パックのクレイグ・フロスト (Craig Frost, kbd) を迎えて制作された。同アルバムからは「ロックンロール・ソウル」がシングル・カットされた。

解雇されたナイトはGFRを契約違反で訴え6000万ドルを請求し、最終的に1500万ドルを受け取ったと報道された[6]。メンバーは彼に対してバンド名と印税に関する訴訟を起こした。

カルテット期

『不死鳥』発表後、フロストを正式メンバーに迎え入れてカルテットになった。ナイトとの闘争はGFRが法廷外での和解に応じて終わり、メンバーはバンド名の使用を認められたものの、ナイトのマネージメントの下で発表してきた楽曲がもたらす印税による収入を失うことになった。彼らはグランド・ファンク (Grand Funk[注 8]を名乗り、音楽性をポップな方向に広げた。1973年、トッド・ラングレンにプロデュースを委ねたアルバム『アメリカン・バンド (We're an American Band) 』を発表。同名シングル曲が全米1位を獲得する大ヒットとなり、このアルバム・タイトルはそのまま彼らの代名詞となり、同名曲はボン・ジョヴィなどアメリカの後続のロックバンドにライブなどで何度もカバーされている。

1974年、前作に引き続いてラングレンがプロュースしたアルバム『輝くグランド・ファンク (Shinin' On) 』からは、ジェリー・ゴフィンキャロル・キング作で1962年に全米1位を獲得したリトル・エヴァの大ヒット曲「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ、こちらも全米1位を獲得。GFR時代とグランド・ファンク時代を通じて最大のヒット・シングルとなった。同アルバムからは「シャイニン・オン」もシングルカットされた。

1975年には、前年末に発表したアルバム『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) (All the Girls in the World Beware!!!) 』[注 9]から、ソウル・ブラザーズ・シックスの原曲をブギ・ウギ調にアレンジした「オー・ワンダフル (Some Kind of Wonderful)」と「バッド・タイム」の2曲のヒットを放った。1976年の『驚異の暴走列車 (Born to Die) 』[注 9]をもってCapitolとの契約は満了した。同年、MCAからフランク・ザッパをプロデューサーに迎えた『熱い激突 (Good Singin', Good Playin') 』を発表した[注 10][7]が、その直後に解散した。

ファーナーはMark Farner[8]1977年)とNo Frills(1978年)の2枚のソロ・アルバム、残り3名はFlint[9]を結成しFlint[10]1977年)を発表した。

再結成と再々結成

1980年、ファーナーとブリューワーによって再結成[注 11]。『グランド・ファンク復活 (Grand Funk Lives) 』と『ホワッツ・ファンク? (What's Funk?) 』と2枚のアルバムを発表する。1982年9月には日本公演を開催し、東京公演は武道館で行なった。招聘元は音楽舎。事前リハーサルは目黒のワーナーパイオニアスタジオで行った。が、ヒットを出すことなく1983年に再度解散した。

1997年ボスニア救済コンサートへの出演をきっかけにオリジナル・メンバー3人で再々結成(『ボスニア (Bosnia) 』)。

1999年、ファーナーがソロ活動のために脱退し、元キッスのブルース・キューリックが加入した。

2004年11月、元マネージャー兼プロデューサーのナイトが殺害された[6]

2024年1月、キューリックの脱退が発表された。マーク・チャットフィールドが加入[11][12]

メンバー

メル・サッチャー(2002年1月12日)
ブルース・キューリック(2002年1月12日)
左からサッチャー、キューリック(2002年1月12日)

現在のメンバー

メンバー名 原語表記 担当 在籍時期
ドン・ブリューワー Don Brewer Drums, Lead Vocals 1968~1977, 1980~1983, 1996~現在
メル・サッチャー Mel Schacher Bass Guitar 1968~1977, 1980~1981, 1996~現在
マックス・カール Max Carl Lead Vocals 2000~現在
ティム・カーション Timothy "Tim" Cashion Keyboards 2000~現在
マーク・チャットフィールド Mark Chatfield Guitars 2024~現在

過去に在籍したメンバー

メンバー名 原語表記 担当 在籍時期
マーク・ファーナー Mark Farner Guitars, Lead Vocals 1968~1977, 1980~1983, 1996~1999
テリー・ナイト Terry Knight Bass Guitar 1972
クレイグ・フロスト Craig Frost Keyboards 1972~1977
デニス・ベリンジャー Dennis Bellinger Bass Guitar 1980~1983
ハワード・エディ・ジュニア Howard Eddy, Jr. Keyboards 1996~1999
ブルース・キューリック Bruce Kulick Guitars 2000~2023

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

タイトル 原題 US 200 認定
グランド・ファンク・レイルロード登場 On Time 1969 # 27 Gold
グランド・ファンク Grand Funk 1969 # 11 Platinum
クローサー・トゥ・ホーム Closer to Home 1970 # 6 2x Multi-Platinum
サバイバル Survival 1971 # 6 Platinum
戦争をやめよう E Pluribus Funk 1971 # 5 Platinum
不死鳥 Phoenix 1972 # 7 Gold
アメリカン・バンド We're an American Band 1973 # 2 2x Multi-Platinum
輝くグランド・ファンク Shinin' On 1974 # 5 Gold
ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) All the Girls in the World Beware!!! 1974 # 10 Gold
驚異の暴走列車 Born to Die 1976 # 47
熱い激突 Good Singin', Good Playin' 1976 # 52
グランド・ファンク復活 Grand Funk Lives 1981 # 149
ホワッツ・ファンク? What's Funk? 1983

ライヴ・アルバム

タイトル 原題 US 200 認定
ライヴ・アルバム Live Album 1970 # 5 2x Multi-Platinum
グランド・ファンク・ツアー ’75 Caught in the Act 1975 # 21
ボスニア Bosnia 1997
1971 ライヴ Live: The 1971 Tour 2002

コンピレーション

タイトル 原題 US 200 認定
Mark, Don and Mel: 1969-71 Mark, Don and Mel: 1969-71 1972 # 17 Gold
Grand Funk Hits Grand Funk Hits 1976 # 126
Hits Hits 1977
The Best of Grand Funk The Best of Grand Funk 1990
Capitol Collectors Series Capitol Collectors Series 1991 Gold
Heavy Hitters Heavy Hitters! 1992
Thirty Years of Funk: 1969-1999 Thirty Years of Funk: 1969-1999 1999
Greatest Hits with DVD Greatest Hits with DVD 2006

シングル(アメリカ)

タイトル US HOT 100
1969 Time Machine / High On A Horse # 47
Mr. Limousine Driver / High Falootin' Woman # 97
1970 Heartbreaker / Please Don't Worry # 72
Nothing Is The Same / She's A Good Man's Brother
I'm Your Captain (Closer to Home) / Aimless Lady # 22
Mean Mistreater / Mark Says Alright # 47
1971 Inside Looking Out # 40
Feelin' Alright / I Want Freedom # 54
Gimme Shelter / I Can Feel Him In The Morning # 61
People, Let's Stop The War / Save The Land
1972 Footstopin' Music / I Come Tumblin' # 29
Upsetter / No Lies # 73
Rock'n'Roll Soul / Flight Of The Phoenix # 29
1973 We're An American Band / Creepin' # 1
Walk Like A Man / Railroad # 19
1974 The Loco-Motion / Destitude & Losin' # 1
Shinin' On / Mr. Pretty Boy # 11
Some Kind of Wonderful / Wild # 3
1975 Bad Time / Good And Devil # 4
Take Me / Genevieve # 53
1976 Sally / Love Is Dyin' # 69
Can You Do It / 1976 # 45
1977 Just Couldn't Wait / Out To Get You
1981 Y.O.U. / Testify
1982 Stuck In The Middle / No Reason Why

メンバー構成の推移

日本公演

7月17日 後楽園球場、 18日 大阪球場
5月18日 名古屋市公会堂、19日 京都会館、21日 大阪厚生年金会館、22日,23日 日本武道館
9月6日 日本武道館、8日 大阪フェスティバルホール、9日 名古屋市公会堂
  • 1997年
6月21日 赤坂ブリッツ、22日 大阪フェスティバルホール、24日,25日 中野サンプラザ

※ファーナーは、ソロやリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの公演でも来日している[13][14][15]

脚注

注釈

  1. 『不死鳥(Phoenix)』から『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心)((All the Girls in the World Beware!!!』までは バンド名をグランド・ファンクGrand Funk)としていた。
  2. ファーナーはギターではなくベースを担当した。両名ともデビュー・アルバム(1966年)とセカンド・アルバム(1967年)の制作に参加した。
  3. バンド名はThe PackやThe Fabulous Packになり、ファーナーはギターとリード・ヴォーカルを担当。1974年にGFRのメンバーになるクレイグ・フロスト(キーボード)が加入した。この頃に録音した未発表曲3曲が、"Thirty Years of Funk: 1969–1999"(1999年)に収録された。
  4. 名字はアメリカ人の発音によると「シャッカー」に近いが、日本語表記には「サッチャー」が用いられてきた。
  5. 現在のハードロックに相当する。
  6. 最終的にはプラチナム認定
  7. 通信販売も販路を介した販売もなく、同窓口での販売のみ。スポーツ興行以外の催し物で同球場の座席が売り切れたのは、1965年のビートルズの公演に次いで2度目であったが、ビートルズの場合は売り切れるまで数週間かかった。
  8. この名前は既にセカンド・アルバムのタイトルや『ライブ・アルバム』のジャケットに用いられていた。
  9. 1 2 プロデュースはラズベリーズを手掛けたジミー・アイナーが担当。
  10. メンバーは以前からザッパをプロデューサーに迎えたいと思っていたが、マネージメントはあまりにも奇妙な組み合わせであるとして、彼らの希望を聞き入れなかった。1975年にようやくザッパに連絡した結果、この組み合わせが実現した。双方とも共同作業について極めて好意的な発言を残している。
  11. サッチャーとフロストは不参加。

出典

  1. Waksman, Steve (2022). Live Music in America: A History from Jenny Lind to Beyonce. Oxford: Oxford University Press. p. 421. ISBN 978-0-197-57053-1
  2. 1 2 Huey, Steve. Grand Funk Railroad Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月5日閲覧。
  3. http://www.grandfunkrailroad.com/bios/Mel_bio.html
  4. 1 2 Grand Funk Railroad: Is This Band Terrible? (英語). www.rollingstone.com. Rolling Stone (1971年8月19日). 2026年2月28日閲覧。
  5. 「はいれぬファン投石・放火 ロック・カーニバル騒然」『中國新聞』昭和46年7月18日19面
  6. 1 2 Obituary: Terry Knight (英語). www.theguardian.com (2004年11月17日). 2026年2月28日閲覧。
  7. Miles, Barry (2004). Zappa. New York: Grove Press. p. 254. ISBN 0-8021-4215-X
  8. Mark Farner – Mark Farner (英語). www.discogs.com. 2026年2月28日閲覧。
  9. Flint (3) (英語). www.discogs.com. 2026年2月28日閲覧。
  10. Flint (3) – Flint (英語). www.discogs.com. 2026年2月28日閲覧。
  11. Wardlaw, Matt WardlawMatt (2024年1月2日). Bruce Kulick Announces His Departure From Grand Funk Railroad (英語). Ultimate Classic Rock. 2024年10月29日閲覧。
  12. Grand Funk Railroad band members”. www.grandfunkrailroad.com. 2024年10月29日閲覧。
  13. 【Grand Funk Railroad】”. www13.plala.or.jp. 2024年6月12日閲覧。
  14. グランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーが来日公演!”. BARKS (2003年12月27日). 2024年6月12日閲覧。
  15. グランド・ファンク・レイルロードの奇蹟〈シンコー・ミュージック・ムック〉”. シンコーミュージック・エンタテイメント  |  楽譜[スコア]・音楽書籍・雑誌の出版社. 2024年6月12日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グランド・ファンク・レイルロード」の関連用語

グランド・ファンク・レイルロードのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グランド・ファンク・レイルロードのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのグランド・ファンク・レイルロード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS