ガルシア・イニゲスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ガルシア・イニゲスの意味・解説 

ガルシア・イニゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 09:55 UTC 版)

ガルシア・イニゲススペイン語:García Íñiguez, バスク語:Gartzea Eneko, 810年ごろ - 870年)は、第2代ナバラ国王(パンプローナ国王)(在位:851/2年 - 870/82年)。初代王イニゴ・アリスタの息子。コルドバで育ち、父王の晩年に王国の遠征軍を率いて成功した軍事指導者であった[1][2]


  1. ^ 年代記作家イブン・ハイヤーンは、ベラスキタはガルシア・イニゲスの娘であると述べているが、ウズリーはベラスキタの父をパンプローナの領主サンチョとしている[10]。ウズリーの記述は歴史学者に好まれてきた[9][11]。この記録ではサンチョを「君主」としていること、また、イブン・ハルドゥーンが865年に「パンプローナの総督でバスク族の首長」としてサンチョを記していること、および「王」サンチョをアラゴン伯ガリンド1世・アスナーレスの婿とした867年の特許状から、アントニオ・ウビエト・アルテタはサンチョ・ガルセスの兄フォルトゥン・ガルセスがコルドバで捕らえられていた期間のうち、860年代半ばから後半にかけてパンプローナを支配していたのはサンチョ・ガルセスであったと示した[12]
  1. ^ a b c Martínez Díez 2007, p. 23.
  2. ^ Lévi-Provençal 1953, pp. 11 and 14.
  3. ^ Gibb et al 1986, p. 1079.
  4. ^ Collins 1995, p. 267.
  5. ^ a b c Martínez Díez 2007, p. 25.
  6. ^ Collins 1990, p. 143.
  7. ^ a b Collins 2012, p. 45.
  8. ^ Salazar y Acha 2006, pp. 33–34.
  9. ^ a b Martínez Díez 2007, p. 24.
  10. ^ Carriedo Tejedo 1993–1994, p. 142.
  11. ^ Sánchez Albornoz 1959, p. 33.
  12. ^ Ubieto Arteta 1967, pp. 289–291.
  13. ^ Sánchez Albornoz 1959, p. 34.
  14. ^ Carriedo Tejedo 1993–1994, p. 144.


「ガルシア・イニゲス」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ガルシア・イニゲスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ガルシア・イニゲス」の関連用語

ガルシア・イニゲスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガルシア・イニゲスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのガルシア・イニゲス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS