ダルマパーラ・ラクシタとは? わかりやすく解説

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ダルマパーラ・ラクシタ

(Dharmapala Raksita から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/01 18:12 UTC 版)

ダルマパーラ・ラクシタ(Dharmapala rakshita、1268年 - 1287年)は、チベット仏教サキャ派仏教僧大元ウルスにおける3代目の帝師を務めた。初代帝師パクパの甥にあたる。


  1. ^ 元史』巻12世祖本紀9,「[至元十九年十二月]詔立帝師答児麻八剌剌吉塔、掌玉印、統領諸国釈教」
  2. ^ 野上/稲葉1958,435頁
  3. ^ a b 稲葉1965,119頁
  4. ^ 『フゥラン・テプテル』と『ギャポェ』はこの箇所の記述が異なっており、前者は「14歳の時にチベットを訪れた」、後者は「14歳の時に朝廷を訪れた」と互いに矛盾する内容をそれぞれ記す。これは、「チベットへ(bod du)」と「朝廷へ(gon du)」がチベット文字上では類似しているためと考えられる。『フゥラン・テプテル』はこの後に再度「チベットへ帰った」と記されやはりチベット以外の地にいたことが示唆されること、ダルマパーラ・ラクシタが「帝師と為った」のならば「朝廷を訪れた」とする方が自然と考えられることから、後者が正しいと考えられる(稲葉1965,117-118頁)
  5. ^ 稲葉1965,117頁
  6. ^ 佐藤/稲葉1964,120頁
  7. ^ 『元史』巻202列伝89釈老伝,「帝師八思巴者、土番薩斯迦人、族款氏也。……十一年、請告西還、留之不可、乃以其弟亦憐真嗣焉。……亦憐真嗣為帝師、凡六歳、卒。至元十九年、答児麻八剌剌吉塔嗣、二十三年卒」
  8. ^ 『元史』巻14世祖本紀11,「[至元二十三年]是歳、以亦摂思連真為帝師」
  9. ^ 稲葉1965,118頁
  10. ^ 稲葉1965,118-119頁
  11. ^ 乙坂1989,42頁
  12. ^ 乙坂1989,29-30頁
  13. ^ 乙坂1989,34頁


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