趙德芳とは? わかりやすく解説

趙徳芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 03:11 UTC 版)

趙 徳芳(ちょう とくほう、顕徳6年(959年)- 太平興国6年3月12日[1]981年4月18日))は、の太祖趙匡胤の第4子。太宗の即位後は興元尹に任じられた。

生涯

宋史』の記載によれば、太祖崩御の際、宋皇后は内侍王継恩に徳芳を入宮させることを命じたが、王継恩は太祖の遺詔を握り潰して、晋王光義の元に参じた。そして晋王が即位し、後に太宗と称されることになった。皇子を差し置いて皇弟が即位するという異常事態に「千載不決の議」と称される皇位簒奪疑惑が発生した。

太平興国4年(979年)に男子趙惟憲をもうけたが、太平興国6年(981年)3月に23歳で病死し、その死も当時太宗との関連が噂された。諡号は康恵。中書令が追贈され、岐王に追封された。後に太師が加贈され、楚王に改封された。

子孫

南宋代、その6世孫に孝宗、7世孫に光宗、8世孫に寧宗が出た。

話本と京劇における形象

脚注

  1. ^ 『続資治通鑑長編』巻22, 太平興国六年三月己酉条による。

趙徳芳(演:卜康、※少年期:金泰熙)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:16 UTC 版)

大宋伝奇之趙匡胤」の記事における「趙徳芳(演:卜康、※少年期:金泰熙)」の解説

趙匡胤王皇后息子趙匡胤次男聡明学問熱心な性格であり、趙匡胤お気に入り息子である。作中では有力な皇位継承者候補として描かれつつも、その若年不安視されている。

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趙徳芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:48 UTC 版)

楊家将演義」の記事における「趙徳芳」の解説

初代皇帝趙匡胤息子帝位就かず、八賢王として楊家助ける。

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