豊見城盛続
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豊見城盛続(とみぐすく せいぞく、嘉靖39年〈1560年〉 - 天啓2年4月19日〈1622年5月27日〉)は、琉球王国の官僚、三司官。毛氏豊見城家の第五代当主。唐名は毛継祖。父は豊見城親方盛章。
盛続は、毛姓豊見城家の嫡男として誕生した。1592年(万暦20年)、謝名一族による反乱の鎮圧に功績を挙げ、紫冠に叙された。1603年(万暦31年)、豊見城間切の総地頭に任ぜられる。
1609年、薩摩藩による琉球侵攻(慶長の役)に際しては、琉球王府の命を受け、降伏・投降の使者として行動したとされる。
1622年(天啓2年)、死去。享年63。
参考文献
琉球新報社発行『最新版 沖縄コンパクト事典』、2003年。
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