角野遥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/18 10:20 UTC 版)
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角野遥(すみのはるか、1961年6月7日 - )は作家。本名・木村博美(きむらひろみ)、旧姓・島。別の筆名、島博美でも活動。大阪府豊中市生まれ。埼玉県鴻巣市で育つ。
埼玉県立熊谷女子高校卒業。青山学院大学理工学部化学科卒業。
父は島範雄(故人)で東北花菱代表取締役。兄は島一範で早稲田大学政治経済学部卒業後、全日本空輸(ANA)勤務。
大学卒業後、住友銀行(現在、三井住友銀行)に昭和59年入行し、システム開発・企画に従事。第三次合理化計画のアプリケーション・コントロール系のシステム開発を経て、銀行初となるAI(人工知能システム)を開発し実用化した。これは、外国為替テレックスの自動解読システムで、行内外為オンラインシステムと連動し日銀ネットに接続させた。この時、上司はいたが多忙で同期の男性職員が病欠してしまい、メーカー(DEC、IBM)に委託してはいたが実質角野一人で実用化させた。その後、本店内のGPS(グローバル・バンキング・システム)プロジェクトチームに配属され金融システム企画開発を行った。プログラミング言語は約10種類程度を習得。銀行時代に上司からビジネス文書の書き方を叩きこまれ、その影響もあって原稿は横書き。本店時代にいた事務管理部の部長は元副頭取の加藤重義氏。
大学時代は、マスコミ・映画人・作家を多く輩出した「早稲田大学映画制作グループひぐらし」に所属し、8ミリ映画の制作を行った。このころ観た映画と演劇が現在のベースとなっている。
また、團伊玖磨夫人の團和子先生(故人)と数回中国を訪問し、アサヒビールの瀬戸雄三会長(故人)と英国を訪問して見聞を広げた。
現在、一人娘の母。娘が小学生に上がってから娘を連れて大学の研究室へ頻繁に通い、科学を学び直した。通算60回以上も大学の研究室(主に東京大学)に通った経験で、これから追い求めて行くテーマが見つかった。それは「科学の進歩に伴い、我々の知性の進化をその成熟とは何か」である。その娘も現在高校生になり、物理学(特に宇宙)に興味を持ち学者を希望しているとのこと。
角野は書いた原稿を夫と娘に読んでもらい、その意見を考慮し書き直して仕上げている。これは「早稲田大学映画制作グループひぐらし」で行っていた「シナリオ会議」を真似ているとのこと。これは家族三人で概ね日曜日に行われている。角野曰く「夫の意見は穏やかだが、娘のは辛辣」らしい。
今まではロック好きだったが、娘がヴァイオリンとピアノを演奏するので、最近はクラッシックを幅広く聞いている。
30歳を迎えた時、与論島でフルマラソンを完走。5時間34分だった。
大阪府豊中市で兄一範が3歳の時、「三つの坊や」という連載で朝日新聞に2週間毎一年間掲載された(書籍化もされている)。当時、皇太子徳仁親王のご成長を慶び同級生に当たった兄一範が取材を受けた。その時、角野は1歳半で兄と共に取材を受けている。
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