聖ネデリャ教会襲撃事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 事件・事故 > テロ事件 > 聖ネデリャ教会襲撃事件の意味・解説 

聖ネデリャ教会襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 07:58 UTC 版)

襲撃によって破壊された大聖堂

聖ネデリャ教会襲撃事件(せいネデリャきょうかいしゅうげきじけん、Атентат в църквата „Света Неделя“ / Atentat v tsarkvata "Sveta Nedelya")は、1925年4月16日ブルガリアでおきたテロ事件

概要

1925年4月14日、ブルガリアの国会議員でもある将軍コンスタンティン・ゲオルギエフ(Константин Георгиев)が暗殺され、その葬儀が4月16日に 聖ネデリャ教会教会で行われた。午後3時、葬儀の最中に爆弾が爆発。参列していた将軍や前大臣ら[1]150人が死亡、首相や内相ら500人が負傷した。教会の屋根裏、主ドームを支える柱の一本に設置された25kgの爆発物のため、教会の聖堂は倒壊した。首謀者はブルガリア共産党 (BKP)。

脚注

  1. ^ 「ソフィアの大聖堂で爆弾爆発」『東京朝日新聞』1925年4月19日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.630 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「聖ネデリャ教会襲撃事件」の関連用語

聖ネデリャ教会襲撃事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



聖ネデリャ教会襲撃事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの聖ネデリャ教会襲撃事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS